
先ほど、橋の残骸が置かれていた中里用水を少し下流にたどってみる。

3面張りの用水路だが砂の堆積があり水草も生えている。魚がたくさん泳いでいるのも見える。タモロコかな?
中里用水は以前に紹介した高麗川の中里堰から取水していて、生きものの気配が濃い用水だ。途中に障害物もないので生きものも高麗川から入り込んでいるのだろう。

少し行くと揚水場と分水がある。

分水は2分岐。

この分水の股の部分に橋供養塔がある。

ガードレールの陰になるので、車で横を通過した程度では気付かないだろう。


年号は文化3年(1806)、江戸後期だ。

分水の横には揚水場がある。
中里用水の取水部より標高の高い農地へ配水するための設備なのだろう。

運転時間の案内があるので、決まった時間帯しか水が流れないのだ。

この配水場の柵の内側に猿田彦塔があった。

猿田彦は鬼門除けなので敷地から動かすわけにはいかないのだろう。

この敷地の北西角に古い石橋の廃材と思われるものが転がっている。
(2025年09月17日訪問)