
先ほど訪れた公民館前からわずか200mほどしか離れていない道ばたに、もうひとつ橋供養塔がある。

笠付きの墓石に似ているが、4面に額縁があるという点が一般的な墓石とは違う。
側面には施主の名前や年号が彫られているのだが、風化と杯状穴により判然としない。杯状穴は塔身にも彫られている・・・。

台座にはかなり深い杯状穴がまんべんなく彫られている。

塔の正面は南側で、車道に背を向けて立てられている。明治時代の地図を見ると古道は塔の南側を通っているので、元々は道に向いて立っていたようだ。
そして塔の背後の現在の車道のあたりには葛川が流れていた。おそらくこの石塔は立てられてから移動していないのだと思われる。

塔の正面も無数の杯状穴があり「橋供養塔」の文字が消えかけている。「橋」なんて木へんのあたりしか残ってない・・・。なんで、こんなことをしたの?
橋供養にも謎が多いが、杯状穴も彫った人に関する直接的な聞き取りや文献が見つかっておらず謎が多い行為なのだ。
この石塔が立てられたのは江戸中期(約300年前)で、杯状穴が彫られたのも江戸時代と思われる。道に面した人目につく場所でこんな穴を彫っていられたのだろうか。

なお、橋供養塔の横にちらちらと写っている六角形の小屋は地域のゴミ集積場だ。
(2025年09月11日訪問)