椀箱淵。
この場所を初めて知ったのは、浦和のほうへ遊びに行った帰りの遅い時刻で、車窓から文化財の看板が出ているのに気付いた。その名前からいわゆる「貸椀伝説」のたぐいがある場所なのだと知り、再訪となった。
沼は東西に細長く、道路に面しているのは土橋となっている僅かな部分だけ。沼の全容はよくわからない。
それと、初めて知ったときは夜で真っ暗だったから何だか薄気味悪いような神秘的な場所に感じたが、昼間来てみるとそれほどでも・・・。
『新編武蔵風土記稿』によれば、この沼はかつて幅70m、長さ600mもあり、宮川とも呼ばれていたという。(現在は最大幅40m、長さ300m程度)
伝説によれば、村で慶弔などで人が集まるとき、必要な数を書いた借用書を投げ込むと椀が浮かび上がったという。案内板などに書かれている詳細は錯綜しているが、この村を起こした名主の先祖は武田二十四将の一人だといい、信玄は諏訪氏の姫を娶ったことから、この沼は諏訪湖につながっているとかなんとか。
一般的な貸し椀伝説では、欲深な者がいて借りた椀をすべて返さなかったため、それ以後、椀が出なくなったというのが結末として語られる。
左側に見える森は氷川神社の社叢。このあたりは氷川神社の濠のような景観だ。
沼尻の吐き出しは現在水門になっている。
そこから吐き出された排水はそのまま東に流れ、荒川右岸堤防の縁に流れる文覚川へ合流している。
この付近の文覚川の様子。
これまで、大囲堤内に氾濫した水をせき止める控え堤という堤防について書いてきた。この地域では横手堤や大工町堤がそうした堤防にあたる。
だが、大囲堤には凸型の堤防以外に、凹型の堀によって氾濫水を制御する仕組みがあるのではないか。この椀箱淵から文覚川にかけて水路は、地頭方の集落に押し寄せる水を東側に排水する機能を持っているように見える。巨大な
また、地頭方にはもうひとつ、淵がまちという地形があり、これも排水路と考えられる。
いずれももちろんゼロから土木工事によって造られた堀ではなく、旧和田吉野川の河道跡に伏流水が湧き出てできた沼が元になっているのかもしれない。
椀箱淵は貸椀伝説だけでなく、治水的な側面も気になる場所なのだ。
(2022年10月29日訪問)
