吉見町をウロウロしていたときに通りかかった小さな神社。
駐車スペースもあるような、ないような場所なのだがお参りしていくことにした。
神社の名は弁天社。
社殿は辻堂のみ。
中に祀られていたのは石造の弁天立像。
「巳日待供養 元文四年(江戸中期)」とある。
「巳待ち」とは
弁天社の裏には用水から取水した池があるが、ほとんど水がなかった。
見れば弁天社の裏に水路が続いている。しかも周囲の土地からかなり低くなっていて歩道が作られている。
これ何なのだろう。親水公園? それにしては看板も駐車場もない。東京の世田谷区あたりにならまったく駐車場のない親水公園歩道なんかありそうだけど、この氾濫原の農村に駐車場もない親水公園というのもかなり不自然だ。
少し歩いてみる。
やはりここは遊歩道であり、園地だ。
水路の両側の家々からは水路に下りられ、ところどころに階段も設置されているが、野菜を洗うといったような日常での実用性はなさそう。
園地は250mほど続き、湧水池で終わっていた。
この湧水池の名前がたぶん「
かつては「
水が湧いているのかどうかよくわからない。おそらく和田吉野川の伏流水が湧き出ている場所なのではないかと思うが。
伝説によれば、石臼を川に落としたところ、その場所から水が湧き出たという。
現在は淵がまちが川の起点ではなく、それより上流からも流入する水路がある。
文化財の案内。
地頭方と一ツ木の集落は古い河道の自然堤防上にある。この旧河道が巾着型のカーブを描いているため水害のときに低地に氾濫水が滞留したのではないか。その氾濫水を抜くために自然堤防を貫通して掘られた人工的な排水路が淵がまちなのだろうと思う。
(2022年12月16日訪問)
