
六堰頭首工の南詰めの地名を「畠山」という。
鎌倉時代の有名な武将、畠山重忠の誕生地である。
その畠山地区に満福寺という寺がある。

「畠山重忠菩提所」という看板があるが、別に畠山重忠の墓があるわけではない。
重忠の墓とされるものは何ヶ所かあるが、そのひとつをかつて紹介している。

境内は広く、本堂から離れた墓地のはずれに観音堂がある。

文化財の案内。
色々な文化財があるように書かれているが、すべて寺宝であって、外から見学できるようなものではない。

山門は四脚門。
けっこう力強い印象の建物だ。分厚い板状の蟇股、木鼻の雲模様もシンプル。時代を感じさせる。
案内板にあった寛政年間までは行きそう。

本堂。
以前は講堂だったという。

内部を覗いてみると客殿っぽい造り。欄間の彫刻が見事だ。

本堂の基礎は1mくらい上げてあるが、当地は荒川や吉野川の氾濫による水害のリスクはほぼないので、水塚の類ではなさそう。

本堂前には半鐘と摩尼車がある。

本堂の右側に庫裏。

境内には比較的新しい石仏が点在している。
屋根付きの六地蔵。

屋根付きの地蔵菩薩。

自然石を彫り込んだ水瓶観音。

弘法大師像。

聖観音像。

板碑を組み合わせためずらしい無縁塚。

境内は1.8ヘクタールほどあり広大。そのほとんどが霊園になっている。
本堂西側の墓地の中に観音堂がある。

観音堂も基礎がかさ上げされている。

向拝の欄間の彫刻などはちょっとごちゃごちゃぎみ。
本堂や山門よりはわずかに時代が下るかもしれないが、江戸後期までは行きそう。

垂木は二重吹寄垂木とけっこう凝っている。
支輪部分も彫刻が充塡されている。

観音堂の横にあった多宝塔。
この場所から見て荒川の対岸にある永田不動堂の多宝塔とよく似ている。

観音堂の前には馬頭尊と書かれた板碑。

石塔の馬頭尊もある。
かつての農耕馬の墓地なのかもしれない。
(2023年11月05日訪問)