
満福寺の敷地の右側に神社の参道がある。

参道を進むと杉林の鎮守の森が見えてくる。

車道に面したところに鳥居の礎石が残っているので、かつてはここに二の鳥居があったのだろう。

井椋神社は畠山氏の子孫が吉田町(現秩父市北部)の領主だったころ地域にあった5柱を合祀して井椋五所宮という神社を建立した。現在の秩父市椋神社だ。
畠山重忠の父重能がこの地域に移り住んだときに、吉田町から神社を勧進したのがこの井椋神社だという。

境内は低い石垣で囲まれてて、鳥居のところだけで石垣が切れている。

境内は鬱蒼としていて、いい雰囲気。
薄暗い、という言い方もできるかもしれないが、私はこういう森になっている村の鎮守は好きだ。
最近は管理を嫌って樹をすべて切ってしまう神社もけっこうあるからだ。

境内を入ると右側に水盤舎。

拝殿は新しい建物で、家大工の仕事だ。

拝殿の右側には玄関と社務所。

拝殿の内部。奥にわずかに本殿が見えているがよくわからない。流造りだとは思う。
右奥の壁に大きな繭額が掛かっている。氏子の養蚕農家が蚕の豊作を願って、良くできた繭を少しずつ出し合って作ったものだ。

本殿は覆屋に入っているが、開口が一切ないので形はわからない。
ただ拝殿と本殿は地表のレベルが違っていて、本殿は土盛りの上に建っている。

境内の左側には末社が並んでいる。

入口に一番近いところから見ていこう。
左は金毘羅大権現の石塔。右は不明。

䗞影山神社。
養蚕の神様だ。

扁額には繭の形がデザインされている。

䗞影山神社内部。

その隣りは末社のアパート。
左から、八坂神社、天神社、日吉神社、諏訪太社、八幡大社。

その隣りは白旗八幡社、八幡神社、大雷社のシェアハウス。
白旗は源氏の旗印で、源氏の守り神だ。畠山重忠は源平の戦いでは源氏側に与した。

内部には木祠が詰め込まれていた。

本殿の覆屋の横に小さな末社。

内部にはなぜか金剛力士がいた。
(2023年11月05日訪問)