吉見堤の碑

明治43年の大水害について書かれた碑。

(埼玉県熊谷市手島)

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切所沼からほんの少し上流の荒川右岸堤防に碑があるというので見に行った。

明治43年(1910)に発生した破堤を修復した記念碑だ。

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碑文にはおおむね次のようなことが書かれている。

荒川は平時は灌漑や舟筏によって利益をもたらしてくれるが、時には大災害をもたらこともある。

明治43年、1ヶ月も続いた長雨のあと8月20日に台風の来襲によって330mに渡って堤防が決壊した。濁流は天を衝くほどであり4ヶ村の家々が水没した。明治44年3月10日に修復工事が着工し、手島村や小泉村の人々が労務にあたった。総工費は1万5千円、のべ5万4千人を擁して850mの堤防が9月10日に完成した。

新しく築かれた堤防は以前よりも倍の高さで大きく堅実である。これから先どれほど激しい大雨や洪水がやってこようとも憂いはなくなり水害は絶たれるであろう。人々は初めて枕を高くして安心して眠ることができるようになった。これはひとえに皆が心を一つにして精励し、災害の恐ろしさに怯むことなく奮起したからこそ、この大事を成し遂げられたのである。

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明治43年8月の水害は、荒川水系、利根川水系の堤防がいたることろで破堤し、埼玉県内の平野部(台地以外)のほぼ全体が冠水したという空前絶後の大災害だった。埼玉だけでなく東京の下町も大きな被害を受けた。

この災害がきっかけになって荒川中流の直線化や横堤設置が始まり、さらに大きな改修工事としては、それまで荒川の河口は隅田川だったのを中川の河口に付け替える「荒川放水路」の掘削工事も決まった。

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この吉見堤の破堤箇所は現在はその周囲も含めて決壊地形の痕跡は感じられない。碑が立っているだけだ。

ただこの碑があるのは堤防上のサイクリングロードの高さではなく、堤防法面の低い位置。

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明治時代に修復したという堤防はこの碑の高さだったのだろう。現在の堤防1/3ほどの高さしかない。

この付近では昭和22年(1947)のカスリーン台風で左岸堤防が破堤している。

(2022年11月22日訪問)