栃本堰と飛石・再訪

明治期に作られた石積みの堰。

(埼玉県小川町大塚)

写真

小川町市街、相生橋の上流に飛石があることは以前に書いている。それは私が埼玉県西ので初めて気がついた飛石だった。川の再生プロジェクトによってこの飛石が設置されてから3~4年後に気付いたことになる。

前回は他の目的で移動中だったし、まだ埼玉県西の川巡りを始める前だったから、堰については丁寧に見ていなかった。きょうは主に堰を見るために再訪している。

写真

ここでは飛石、堰、親水公園の遊具についてそれぞれ見ていく。

まずは飛石なのだが、飛石は2ヶ所に設置してある。そのため、単に渡って戻ってくるというのではなく周遊できるから渡ってみようかという気にさせる飛石なのだ。

写真

下流側の飛石。

ここは落差工のような感じの横断構造物があって、その上に固定されている。

写真

そのことは前回の記事でも書いていて、自然の川底に基礎を作って埋め込んである飛石と違い、コンクリでガチガチに出来ているので風情という点ではちょっと残念な感じではある。

でも手本となったと思われる京都鴨川の飛石も落差工に設置されているから、観光飛石とはそういうものなのかもしれない。

写真

岸辺にはミゾソバが繁茂。

写真

槻川は都幾川や高麗川に比べて水質が悪いイメージがあるが、小川町市街地付近でもその印象は変わらない。

何でなんだろう? ここから上流にはあまり人口もないと思うのだが・・・。

写真

飛石の上から上流を見たところ。

写真

駐車場側から飛石で左岸に渡り、左岸側の歩道を歩ける。

写真

上流側の飛石を通って、右岸に戻れる。

写真

上流側の飛石も落差工の上に固定されているが、右側は水深があるため迫力が感じられる。

写真

その水深を利用して、飛石の上から釣りをしている人がいる。実は2017年に訪れたときにも釣り人がいたので、この場所で糸を垂らすのは定番なのだろう。

らまた落差工の構造にも関係するのかもしれないが、上流側の飛石は途中からカーブしているのが特徴だ。

写真

続いて、栃本堰を見ていく。

きょう再訪した本来の目的は栃本堰を間近で見るためなのだ。

堰の上は歩けないから両岸から観察することになるが、そこは飛石があるからすぐに移動できて便利だ。入間川の上奥富堰なんて両岸を見ようと思ったら、車で移動するしかない距離だったからね・・・。

写真

左岸には石段がある。この石段は親水公園で作られたのではなくて元々あったのじゃないかな。

左岸側には用水路の取水口と、砂吐きと思われる水門がある。

写真

なんと堰の堤体にも石段が!!

登ってみたい!

でも堰の上が歩けないので、あそこへ行くには下流側から胴長でも履いて近づくしかない。

写真

水門の定礎。

昭和末期に堰に増設された設備のようだ。

写真

文化財の案内。

元禄3年に描かれた絵図にすでに栃本堰が石垣積みの姿で描かれているという。

でもこの堰から取水する用水路はあまり流域面積がない割に堰としての規模が大きいので、ゼロから造られたダムではなくて、もともと自然地形で滝があった場所なのではないかと思う。

それよりも気になるのは、この看板に掲載されている「楮もみ」の写真・・・

写真

キャプションによれば「往時の槻川では、和紙の原料の楮の表皮を取る楮もみや皮についたゴミや不純物を取り除くカッツアシと呼ばれる作業が行われ、岸辺にはカッツアシ小屋が数多く建ち並んでいました。」とある。

これは見たかったぞ。

この写真はなんとなく不自然なので再現写真なのかな?

写真

明治期の栃本堰の写真も掲載されている。

昔は落水が堤体をなめていたんだ・・・。このまま残っていれば美しかったのに。記事によれば明治37年ごろの写真ではないかと思われる。

その後、明治43年の大水害、昭和22年のカスリーン台風で2度の改修、昭和26年の水門設置、昭和61年にゲートが造られたという。

写真

現在の水吐きになったのは昭和61年かな?

この改修で魚にとってはかなり厳しい障害物になった。落差が大きいうえに滝壺がない構造なので、魚が助走できず、鮎などはまったく遡上できないと思われる。

写真

対策として川の再生プロジェクトで魚道が造られたのだろう。

写真

水吐きに落ちる水量に対して魚道の水量はあまりにも少ないし、向きも逆なのでこの魚道に入る魚ってどれだけいるのかな・・・。

もしここに大量の魚が遡上するとしたら、サギが並んでついばみそう。

写真

魚道の上側には障害物が設置されている。

どんな意味があるのだろう。流木除けか?

写真

堰の上側は水面が広いが、ダム湖というのではなく、全体的にはそれほど水深はない。

写真

用水の取水口は左岸のみ。

写真

用水路は段丘崖の下を流れるので、小川町の中心部の街道筋では利用できない。

下流の配水される耕地もそれほど広くはない。

写真

これは工業用の用水路なのかもしれない。

かつては工場の動力として水車を使ったので、現在の送電網のように工場地帯に用水を整備したのだ。

また製紙や製糸、染め物などにも水が必要だ。

写真

もしかしたら崖下にあるこの家は昔の工場の名残なのかもしれない。

以前に訪れた県立の和紙の試験所もこの用水の流域になる。

写真

取水口からは県道へ出る路地があった。

写真

栃本堰前の県道11号線の町並み。

いつか小川町の町歩きもしてみたいな。

(2022年10月25日訪問)