現在、合流点には水門と排水機場があり氾濫の危険性は少なくなったが、この工事が完成したのは2002年。それまでは霞堤による自然合流だったので浸水しやすい場所だった。越辺川上流で大雨が降れば支流の飯盛川に水が逆流しただろうし、飯盛川の上流で大雨が降れば越辺川に排出しきれない水があふれただろう。
飯盛川の左岸(写真の左側)が赤尾地区、右岸(写真の右側)が小沼地区である。
そのむかし、飯盛川や越辺川の氾濫で左側の赤尾の土地が冠水すると、中央の堤防が切れて右側の小沼地区に被害が出ることが多かったという。困り果てた小沼地区の人々が村の東光寺の僧「梶坊」という者に祈祷をさせたところ、対岸の赤尾にある諏訪神社の神が小沼の堤防を壊すのが原因だと判明する。梶坊は堤防を守るためには対抗する力が必要だと考え、自ら入水して守護神になったという。
長いあいだ水害に悩まされてきた土地に伝わる壮絶な伝説だ・・・。
堤防の下に梶坊を祀る祠がいまも残されている。
こちらが梶坊大権現。
目立たない小さな祠だが、草刈りされ管理されていることがわかる。
祠の中に墓石のようなものが収められていた。
江戸時代後期の元号が彫られている。
堤防が切れた場所には九頭龍権現が勧進されることが多いが、ここでは梶坊大権現が堤防を守っているのだ。
祠の前には馬頭観音も祀られていた。
堤防の上に上がってみた。
カスリーン台風の水害のあとに強化されたという堤防はかなりしっかりしているので、小沼側に決壊する可能性は低そう。
梶坊の願いは昭和になってようやくかなったのだ。
(2025年07月13日訪問)
