
星渓園の南隣りにお寺が見えたのでお参りしていく。
名前は石上寺。

山門は八脚門で、寺の周囲には築地塀を巡らせる。

山門の前には庚申塔が2基ある。旧山門の礎石と思われるものも並んでいる。
そのあいだの小さな石仏のようなものは子どもの墓石。見たところ石上寺は墓地を持たない寺のようなので、区画整理などで寺の境内に入ってしまった墓石なのかもしれない。

境内に入ると百観音巡礼の記念塔、慈母観音、六地蔵などが並ぶ。百観音巡礼記念塔の前には仏足石がある。お砂踏みかな。

この石仏の並びの左端は古いものがある。
馬頭観音、如意輪観音、地蔵菩薩。いずれも基礎を高くした高地蔵的なもの。
その前に置かれている水盤には深い杯状穴が刻まれている。

さらにその並び中門の薬医門がある。この門の中には方丈か旧庫裏の建物があるようだが閉門している。
中門の横にモース博士の胸像がある。
モース博士は米国の生物学者で貝類の研究のため明治10年に来日。大森貝塚を発見した功績で日本の考古学の祖とも言われる人物。明治12年に石上寺を訪れ、境内にあった寺子屋で『進化論』の講義をしたという記録が残っている。これはそれを記念した銅像。

石上寺の現在の本堂や庫裏は小山の上に建っている。この小山は元荒川の左岸堤防、北条堤の遺構だ。
都市計画で北条堤が撤去されたとき、この部分はお寺の敷地で建物にも掛かっていたのでそのまま残されたのだ。
堤防の上にお寺の伽藍が建てられるほどに幅が広いのは、この場所で破堤して修復するうちに拡幅された跡なのかもしれない。

明治初期に作られた迅速地図に現在の高低図を重ねて見ると、石上寺は古くから堤防の上に建てられていたことがわかる。水塚とも言える。

本堂はまだ新しいが、木造の非常に端正な建物。屋根には金色の鵄尾を置いている。
間口5間、奥行き4間だが、手前1間が吹き放ちになっている。

本尊は千手観音。

お寺としても立派だけれど、北条堤を今に伝える遺構としても見るべき場所だと思う。

現在、法面に桜が植えられて桜の名所になりつつある。
これは江戸時代に桜の名所として知られた熊谷堤に植えられていた桜を繁殖したものらしい。

本堂の右側には庫裏。

本堂の左側には鐘堂がある。

駐車場の片隅にあったお堂。
確認し忘れたが、信徒会館的なものではないかと思う。

寺の南側の路地。
ここでも北条堤の跡がわかる。

鐘堂が建っている場所も堤防の上だ。

寺の裏側の道。
あとで調べてみたら、この先に辻堂の不動堂があったようだ。

寺の参道の片側は料理屋の駐車場になっている。

うなぎ屋で、どぜう鍋も食べられるみたい。
いつか入ってみたい。

うなぎ屋の横の路地もかなりいい雰囲気。
(2025年06月19日訪問)