上砂の修堤祈念碑

大正2年の水害についての記録が残る。

(埼玉県吉見町上砂)

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荒川左岸堤防に付かず離れず走っていくと、堤防の法面に石碑が見える。上砂の修堤祈念碑だ。

ただ、堤防の手前には文覚川があり橋がないから容易には近づけない。堤防の天端(てんば)はサイクリングロードだし、堤防の川表(かわおもて)はゴルフ場なのだ。車で行く場合は上根の馬頭観音中曽根の庚申塔に駐車して歩いていくしかない。どちらに置いても250mほどの距離になる。

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結局、上根から歩いた・・・。

碑は法面の斜面途中に立っている。碑がある位置が大正時代の堤防の天端で、その後2度にわたって堤防が嵩上げされ、その際、川表側に拡幅されたのだろう。

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碑は正面を集落の方に向いて立っている。

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裏面にこの碑の謂れが漢文で彫られている。

大正2年8月27日に荒川の大氾濫がありこの場所で205mに渡って堤防が決壊し、田畑が水深9mの深さで水没した。修復にあたっては国、県、地域が区分けして請け負うことになった。工事は大正3年2月20日に着工し、水害に遭った地域の人々は男も女も奮起して働き、9月9日に竣工した。

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荒川では明治43年にも未曾有の大水害が発生しており、この水害はわずか3年後ということになる。地域の人々も疲弊していたと思うが、それでも地域を守るために働くしかなかったのだ。

ここから見える帯状の水田は古い河道跡で低地だったから、そこを濁流が流れ下ったはずだ。集落は自然堤防上にあるとはいえ、水深9mでは集落にも被害がでたことだろう。

(2026年06月12日訪問)