神戸の氾濫平野

2019年の台風19号で破堤した場所。

(埼玉県東松山市神戸)

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神戸(ごうど)地区は水田が拡がる都幾川の氾濫平野だ。

都幾川が蛇行していた時代には流路になったこともある場所だが、下流の悪戸地区とは違って土地改良で整然とした圃場になっている。

昔から神戸で作られるコメは美味いと言われていて、直接購入したいという人が来るほどだという。そのため営農意欲も高く、土地改良も行ったのだろう。もっともいまは地主の高齢化もあって、自ら耕作している農家の数は減って委託でコメ作りをしている家が多くなっている。

この水田地帯は2019年の台風19号で大規模に浸水した場所である。その様子は市の報告書で詳しく見ることができる。

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堤防の"╳"の場所が約30mに渡って破堤し、水田地帯約70ヘクタールが冠水した。

破堤箇所のすぐ内側の水田を耕作している農家から偶然話を聞くことができた。田んぼは破堤箇所から流れ込んだ泥で覆われたが、自治体の復元事業で泥はすべて撤去された。

「川が氾濫すると土地が肥えるからコメの収穫が良くなるだろう」などと言ってくる人がいたが、昔と違って化成肥料もあるのでそんなことはないという。

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むしろ翌年は水不足に悩まされたそうだ。

都幾川は水不足になりやすい川で、瀬切れに近い状態になることが多いのだそうだ。

神戸地区の水田に配水している用水路は地区南側を流れていて、そこから北側に向かって水を入れていく。都幾川の堤防に近い田んぼは用水から一番遠いため充分に水が来ないのだ。水害をもたらす都幾川に近い圃場ほど水不足になるというのは皮肉だ。

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さて、堤防が切れた場所をもう少し細かく見てみよう。

2017年の航空写真では破堤した場所は堤防が不自然に曲がっている。ここは過去にも破堤したことがある場所なのではないか。

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修復後は過去の堤防を埋め立てる形で堤防が直線化された。破堤箇所はほかの地点より堤防の幅が広くなったので今後は切れにくくなるだろう。

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災害から6年が過ぎ、堤防の補強工事は終っている。

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いま見ると、どこが堤防を直した場所なのかはわからないほどだ。

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ただし旧堤防である膨らみの場所に立ってみると、復旧後の堤防は1m弱高く築かれていることがわかる。

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この神戸の水田地帯は昔から都幾川の遊水地のような役割を持っていて何度も浸水してきたそうだ。

集落は自然堤防上にあるため、今回の決壊でも家屋はほとんど被害を受けなかった。破堤箇所に一番近い家の主屋と納屋が床上浸水しただけだったという。

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堤防の外側は河畔林だが、明治初期の地図を見ると以前は畑や桑園だった。さらに言い伝えによれば神戸集落は堤防ができる以前はもっと川に近い場所にあったという。

高水敷を人間が利用しなくなり、林になったことで水が滞留しそれが堤防の決壊の要因になったのかもしれない。下流の稲荷橋付近では河畔林の撤去も進んでいるので、このあたりも将来樹林が撤去される可能性もある。

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この破堤箇所の押堀があったあたりは整地されて、トイレや売店がある。

おそらく、長期間この場所で土木工事をしたため作業者が利用する店だったのだろう。

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このプレハブが片づいたとき神戸地区の復旧は完全に終わったことになるのだ。

(2025年10月23日訪問)