
土産物屋街を登り切る。
このまま一の鳥居を潜れば那智大社の境内となる。もし右方向の石段を登れば青岸渡寺の境内になる。那智大社と青岸渡寺は境内が密着した隣りあった寺社なのだ。もちろん神仏混淆の影響である。

普通にミニマムに参詣するのであれば、行きは那智大社の石段を登って、帰りに青岸渡寺の石段を降りてもよい。あるいはその逆廻りでも。
だが、青岸渡寺の三重塔方面へ下り、そのまま那智の滝まで歩こうとすると、青岸渡寺の石段には戻って来れないのだ。石段の途中には青岸渡寺の楼門がある。なので鳥居を潜る前にいったん青岸渡寺楼門だけ見て、戻って那智大社へ登るのがよさそう。

那智大社の参道のほうが石段はゆるい。

水盤舎を過ぎると右側に児宮という末社がある。
安産と子育ての御利益があるという。
那智大社は名にし負う大きな神社だが、末社は意外に少なく、末社らしい末社はここともう1社くらいしか見当たらない。

水盤舎の左側には太鼓橋があり、その先は庭園になっている。

この庭園の先にも宿坊の名残と思われる家がある。

緩やかな石段を進むと板垣に突き当たる。右側の懸崖造りの建物は社務所だ。
実はこの板垣は目隠しで、この裏側は駐車場になっている。前ページの地図のP2がここにある。息を切らして石段を登ってきた人には「えっここまで車で来れたの~!?」ってなってしまうので駐車場を見えないようにしてあるのだろう。

ここには神厩がある。
神厩って神社では拝殿から離れて配置されることが多いような気がする・・・。
もともとは生きた馬を入れる建物だから、飼育の都合で境内から離していたのかもしれない。

内部の神馬。

最後の石段。
那智大社の有料道路を使っても、最後にこの石段は登らなければならない。
車いすの人用には社務所の中にエレベーター利用できるようだ。

最後の石段を登り、後ろを振り返った風景。

石段を登った左側の風景。
左側のRC造の建物が社務所。
正面の唐破風のついた建物はたぶん参集殿。

石段を登った右側の風景。
鳥居のところに水盤舎があったが、ここにもまた水盤舎。

RC造の大味は建物は宝物館。

水盤舎の背後にある建物は繁忙期の護符売場ではないか。
じつはこの建物、少し前のストリートビューを見ると観月殿だった。つまり壁がなく柱だけの吹き放ちの休憩所だったのだ。そこに壁を付けて部屋にリフォームするって、そんなのアリなの?


拝殿は木造の大きな建物だ。
中では個人の祈祷を受け付けている。

拝殿の右側には授与所が接続している。
そのおかげで本殿がとても見えにくくなっている。まぁほとんどの人にはどうでもいいことかもしれないのだが・・・。

玉垣のすきまから本殿を見ていく。
拝殿の背後にはさらに玉垣と中門があって、5社の春日造りの本殿が並んでいる。
一番右側は中門しか写っていないが、右から、第一殿・滝宮、第二殿・証誠殿、第三殿・中御前、第四殿・西御前、第五殿・若宮の5社。

第一殿の滝宮は青岸渡寺の境内から見える。

拝殿の左側にはほとんど近づけないが第六殿の中四社、下四社の2柱が祀られている。二間社の流造りだ。

拝殿の左奥を見たところ。正面が第五殿で、左に見切れているのが第六殿の中門である。

第六殿のさらに左側には末社の

御縣彦社の前には八咫烏の象がある。
案内板に那智の七石のひとつ「烏石」というものがあると書かれていて、この石柱がそうなのだと思ってしまったが、実は本当の烏石は玉垣の中にあるようだ。見落とした。

授与所で見かけた巨大おみくじ。

授与所の前には巨大なクスノキがある。

このクスノキは内部がウロになっていて、胎内潜りとして中に入れるようになっているのだ。

胎内潜りの通行料は300円。
無人販売の護摩木を購入することで通行が許される。

もちろん購入した。

ウロの入口は少し地下に向かって下るようになっている。

床はしっかりしていて、立ったまま通行できる。

少し狭いところあるがたくさんの人が通るので、木肌はツルツルに磨かれていて服が汚れるというような心配はない。

出口は3mくらいの高さに開口していて、ハシゴで登るようになっている。

スゴイ、人間が楽々と通れるほどのウロができても樹は元気なのだ。

生きた樹のウロの中が胎内潜りになっている寺社ってたまにあるが、これはこれまでに見た樹の胎内潜りとしては一番立派だ。

護摩木は胎内潜りを出たところに奉納する。

これで那智大社はひと通りお参りした。
四脚門を出ると、そこは青岸渡寺の境内になっている。
続いて、青岸渡寺にお参りしていこう。
(2024年12月15日訪問)