
熊野速玉大社の参道。はっきりと門前町の名残を感じるが、全国に名だたる神社の割に参道はひっそりとしている。土産物屋や茶店がびっしりと並び、観光客がそれを冷やかしているという情景からはほど遠い。
熊野本宮大社の参道もそんな感じだった。やっぱり熊野は遠く、近隣の都市圏の高校生がデートで遊びに来るというような場所ではないのだ。

訪れるのはたぶん3回目じゃないかと思うのだが、なんか、記憶がはっきりしない。駐車場がどこにあったとかまったく覚えておらず、案内の看板にそって門前を右に入った。

境内脇に20台くらい止められる駐車場があったが満車で、さらに先へ誘導される。
この駐車場の奥に勅使門っぽいものが見えるな。

熊野速玉大社は熊野川に面していて、境内の北側が河原になっている。
ここを権現河原というそうだ。

この河原が駐車場になっている。数百台は駐車できるのではないか。
なるべく近い場所に駐車し、神社へ向かう。

権現河原から来ると境内の横からも近道で入れるが、あえて遠回りして正面参道の鳥居まで戻って参詣することにした。

大きな境内配置図が見当たらなかったが、こちらがオフィシャルな配置図。このMAPを基準として社殿を説明していく。
MAPは北が上になっておらず、実際の社殿は南東方向に向いている。

最初にあるのが両部鳥居。
速玉大社の参道は市街地に長く続いているが、神社から離れた場所には鳥居がなく、たぶんこれが一の鳥居になる。
材質はRC造。

鳥居をくぐるとすぐにある末社が、

途中、左側に御神木があり、根を保護するためか参道がクランク状に曲がっている。

この御神木は

御神木の対面には宝物殿。RC造。
怒られるのを覚悟で言うけれど、速玉大社は参拝者が接する拝殿や礼殿がRC造なので、訪れた観光客には「新しい神社だったな」っていう印象が残と思う。鮮やかなペンキで塗られているから余計にそう感じる。
速玉大社の主要社殿は明治時代の火災で失われていて、その後、本殿などは木造で再建されているが、本殿は玉垣で近づけず遠巻きに見るだけなので、木造かどうかなどほとんどの人にはわからないのだ。

続いてあるのが八脚門の神門。

神門の前には水盤舎。
こちらは木造。
奥にあるのは熊野稲荷社。

神門の左側には
礼殿は祈祷などを行なう建物。
ただ、現代では拝殿に参拝者を上げて御払いをする場合がほとんどだと思う。

神門は木造。
でもこうした基礎から礎石から柱までピシッとした木造の神社建築で、木肌がどこにも見えないくらいきれいに塗られていると、速玉大社に限らず、後になって「RC造だったっけ?」みたいなあいまいな記憶になっていることがけっこうある。
そういう意味では、逆にRC造って抜け目なく造ったらけっこう見られるってことなのかもしれない。

神門を潜って正面にあるのが

玉垣のすきまから覗いてみた。
上三殿は、おおざっぱに言えば三間社流造り。

上三殿は木造だけど、床下に換気扇がついていたりする・・・。
こういうところが積もり積もって「新しい神社だったな」という印象になっていると思う。

上三殿の右側には八社殿。

八社殿。
名前からすれば八間社流造りってことかな。

上三殿の左側に拝殿がある。
参拝客が主にお参りする場所になる。

この拝殿はRC造。
速玉大社の一番もったいないところ。

拝殿の後ろにある小さな社は
左側に見える春日造りの社が

拝殿の背後にはもうひとつ春日造りの社があり、こちらは

結宮の左にある小さな建物は

神前に供えられた供物。御供所はこうした供物を準備するための部屋である。

御供所の左側に見えるのは宝庫。

拝殿の左奥にあるのが参集殿。
現代の神社では結婚式などのを行なう場合が多い。

参集殿はRC造だった。

拝殿の向かいには護符売場。

境内の右端のほうにある末社群。
ほとんどお参りしている人がいない。

左側は新宮神社。

右側は恵比寿神社。

恵比寿神社の近影。
以上で速玉大社の社殿はすべてだと思う。

境内には仲見世が1店舗だけある。
むかしこのあたりで男根の形をした飴を売ってたような記憶があるのだけど、どこかと混同してるかな。

土産物屋は境内と権現河原のあいだにもある。
歩いてノドが渇いたのでみかんを買った。
(2024年12月15日訪問)