宇和町の養蚕農家①

繭かきの準備中だった。

(愛媛県西予市宇和町稲生)

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午前中、大洲の町でだいぶ時間を過ごしたが、午後からは宇和町へ移動して養蚕農家を訪ねることにする。

宇和町には3軒の養蚕農家があるというが、まったく場所はわからない。ただ養蚕農家が少なくなっているので、農家に訊けばわかりやすい。会う人会う人に尋ねまくって、清水さんというお宅にたどり着いた。

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お母さんがいらしてお願いしたところ快く蚕室を見せてくれた。

清水家はかつて年間2トンの繭を出荷したこともあるという。その当時は現在の蚕室のほかにもう1棟の蚕室と、稚蚕室を持っていた。従事したのはお母さんとご主人、ご主人の両親の合計4人で、年間6・7回の飼育をした。上蔟するそばから次の稚蚕が届くので、稚蚕室で3齢まで飼育してその間に主蚕室を消毒するという手順だった。

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多数回の蚕期をやる場合でも、自分で掃き立てからすることはなく、稚蚕はすべて飼育所から配蚕されたそうだ。

蚕はこの箱に入って配蚕される。これを「角盆(かくぼん)」と呼んでいる。

配蚕は2眠配蚕と3眠配蚕があり、夏(夏蚕と初秋蚕か?)は2眠配蚕で、他は3眠配蚕。2眠で配蚕されるときはこの箱の中で3眠まで育てる。もしかすると夏は注文が少ないので愛媛蚕種から直接配蚕されるのかもしれない。

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清水家は現在は養蚕のほか、ナメコとシメジの菌床栽培、お米を作っている。

年3回の飼育で、今年の晩秋蚕は、蚕品種あけぼのを2箱(5万頭)飼育した。いま(10月9日)蚕は回転蔟に入ったまま収繭のときを待っている状態だった。これから繭かきして12日に出荷するという。繭かきの機械はまゆクリン。

所属する提携グループはたぶん野村町のシルク博物館と思われるがはっきりわからないとのことだった。

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飼育台は分解して綺麗に片付けてあった。うまいこと考えたなぁ。

現在使っているのはこのオレンジ色のフレームの飼育台。よくスーパー飼育台と呼ばれているもので、蚕座が浅いタイプ。このタイプの飼育台は蚕座の上に移動式の蚕座を重ねて2階建てにできる。

ねずみ色のフレームは2階の蚕座のパーツ。脚に戸車が付いているのがわかる。

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選繭台と蚕座のレール部分のパーツ。

片付け方が参考になる。

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天井にあるねずみ色のフレームは、また別のタイプなのだが現在は使っていないという。詳しく聞かなかったけれど、もっと聞けばよかった。

見た感じ、2階建てにできるタイプのようだが、レール部分がパイプではなく角パイプなのかもしれない。

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蚕室は出入り口も広く、敷地も全体がコンクリ敷きでフラットなので使いやすそう。

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床には水勾配がつけてあり排水用のドレンが切ってある。床は衛生のために水洗いするという。

飼育台は床から浮くタイプなので、蚕糞や蚕の死体などが直接床に付くことはないと思うが、衛生にはとても気を使うという。室内の消毒はホルマリン消毒。

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遅口の蚕は藁蔟で上蔟してすでに繭かきが終わっていた。

この丸い籠は「丸盆(まるぼん)」と呼んでいて、この地方では蚕の飼育のために使われる。とても精緻なすばらしい民芸品だ。これで飼育していたころには100枚以上の丸盆があったという。現在は収繭した繭をこの盆に載せて出荷まで蚕棚に挿しておく。

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実際に使用していた藁蔟。

遅口の蚕は回転蔟に入れても落ちたりして面倒なので、藁蔟に入れて営繭させる。

お母さんは藁蔟を編んだことはなく、親の世代なら編めたのではないかとのこと。これはもらい物だそうだ。使い終わって日光消毒をしていたところだという。

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珍しい道具を発見。

関東のほうで見る挫桑機と似ているが、側面に「ワラ切器」と書かれている。牛馬の飼育に使う道具らしいが、清水家では挫桑に使っているそうだ。

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もうひとつ珍しい道具。「フリフリー」と呼ばれていた。小型の条払機らしい。出してくれそうだったが面倒そうなので遠慮してしまった。組み立てて見せてもらえばよかったと反省。

給桑台のように蚕座の上に載せるタイプなのじゃないかと思う。使い勝手がよく、飼育台1列(2.5万頭?)を40分で条払いできるそうだ。上蔟の工程ひとつが何分なのかさっと答えられるのがさすがプロの養蚕農家。

なおこの地方では熟蚕のことを「アガリコ」と呼んでいる。

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養蚕が盛んだったころ、お母さんも新城の稚蚕飼育所に働きに行ったこともあるそうだ。

飼育所は大部屋で、この箱が6段に積み重ねてあり、人手で積み替えながら給桑した。新城の飼育所は桑養育なのだ。

この地方でも養蚕の高齢化は進んでいる。お母さんが嫁いで養蚕を始めたのは、宇和町では最後だったそうだ。

「むかしはほんと良かったけぇ、私らも東京のほうまで行かせてもろぅたこともあるんやけど、いまはもう全然。やけんいつまで飼えるんやろぅ、でもやめな言いなはるまでは、もういっときは飼わないけんなぁと言いよるんやけど。私はいちばん若かったんですよ。私より若い人は宇和町にはおらなんだんですよ。あと入る人もないし、若い人で飼う人もないし、やめていく一方で、最後に残るのは私やき。」 

そう話してくれた笑顔が印象的だった。清水さん、見学させてくれてありがとうごさいました。

(2011年10月09日訪問)