中山の農村歌舞伎

春日神社併設の歌舞伎舞台で毎年上演されている。

(香川県小豆島町中山)

土庄へ向かいながら思い出したことがあった。それは10月の第2日曜日、つまり今夜は山のほうの神社で農村歌舞伎が行われる日だと聞いていたのだ。

神楽、浄瑠璃、能、歌舞伎の類は観覧しても途中で居眠りしてしまう自分なので、あまり関心はなかったのだが、せっかくだから行ってみることにした。

ただ、そう決断したときすでに18時近くにはなっていたので、いまから行って見られるのかどうかもわからない。行ってみてダメならダメでいいだろうという程度の気持ちで中山の春日神社を目指した。

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池田地区から山道に入り峠を越えて、18時10分ごろに中山地区に到着。神社には明かりがともり、露店で出ていたのですぐに場所はわかった。

駐車場もあまり遠くない場所にあり、車をとめて神社へ向かった。

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初めて来る場所なのに、どこか懐かしいような、日本の秋祭りらしい風情。

入場料などはなく、入口で案内のしおりをもらって境内へ進む。

するとそこには、目にも鮮やかな露天桟敷の劇場空間が展開していたのだった。

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わっ、なにこれ?

想像していたよりずっと面白そう。

「農村歌舞伎」という名前の「歌舞伎」の語感から何か「ハイソな人たちの(たしな)み」みたいなイメージを持っていたのだけど、これは違う!

これはいわゆる村芝居だ。

歌舞伎と農村歌舞伎には、演劇と大衆演劇くらいの違いがあったのだ。

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すでにいくつかある演目が終わり、ちょうどいま上演している芝居も終盤の盛り上がりを見せているところだった。

セリフまわしも聞きやすい。集中すれば半分くらいは何を言ってるのかわかる!

これ、事前にストーリーの流れさえわかっていればかなり楽しめそう。

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瀬戸内海の島の、その島の中でも田舎の神社で、村人が村人の楽しみのために演じている芝居。いまこの観衆の中に私が知っている人は一人もいない。だから誰とも感動を共有できないし、言葉にする必要もない。ただただ夜芝居の空間を味わえばいいのだ。

私はこの体験にすっかり魅了されてしまった。

おかげで、翌2007年翌々2008年と3回にわたってこの芝居を観るために小豆島を訪れることになったのだった。

ここからは3年間に撮影した写真を取り混ぜて、この芝居小屋について紹介していこう。

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これは翌2007年に訪れたときの様子。今回は最初から最後まで見るつもりだったので、開幕時間に合わせて神社を訪れた。

この日はなぜか昼の部としてテレビの収録で瀬川瑛子のミニコンサートがあったようだ。私が到着したの夕方から。

農村歌舞伎の演目は、1幕「三番叟」、2幕「白波五人男」、3幕「封印切り」、4幕「鮓屋」だった。

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まだ日が完全に暮れないうちに2幕「白波五人男」という子供による芸が上演される。

白波五人組という盗賊に追っ手がかかる。だが盗賊たちは格下の追っ手など唐傘で軽くあしらって名乗りをあげる。その立ち回りと見栄が見どころ。

子供の演技がかわいい。これは誰が見てもすっごくわかりやすい寸劇だ。

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3幕「封印切り」は、飛脚問屋の忠兵衛という男が惚れ合った遊女を身請けしようとする話。だが忠兵衛は身請けするのに必要なお金が準備できない。

そこに恋敵の男が身請けに現われる。女郎屋の主に遊女を忠兵衛に身請けさせるつもりだと聞き、腹を立てて忠兵衛の悪口をわめきたてる。

2階の座敷に潜んでいた忠兵衛が現われ喧嘩になる。(舞台上に2階のセットがあるのが楽しい。)

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カッとなった忠兵衛は、懐にあった小判の封印を切ってばらまいてしまう。だがその小判は飛脚問屋が商売で扱う為替の金で、手を付けることが許されないものだった。封印を切っただけでも死罪はまぬがれない。

それを見た恋敵は役人に知らせるために駆け出していく。

忠兵衛と遊女は心中を決意して、忠兵衛の故郷の村へと旅立っていくのだった。

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翌々2008年の演目、「仮名手本忠臣蔵・祇園一力茶屋」。

大星由良之助(忠臣蔵における大石内蔵助に相当する役どころ)は、仇討ちの計画を悟られないように遊廓で遊びほうける振りをしていた。そこへ仇討ち計画の密書が届く。それをお軽という遊女が偶然に見てしまった。

由良之助はそのことに気付き、突然お軽を身請けしたいと言い出す。秘密を知られた以上、連れ帰って殺すしかないと考えたのだ。

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そこにお軽の兄、平右衛門が訪ねてくる。平右衛門は以前から仇討ちを進言していたが、いっこうに行動を起こす気配のない由良之助にいらだちをおぼえていた。

だが、由良之助が仇討ちのためにお軽を殺そうとしていることを悟り、自ら妹を手にかけようとする。

その強い決意を見た由良之助は、平右衛門を仇討ちの仲間に加えるのだった。

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舞台装置を見ていこう。

中央には廻り舞台がある。→廻り舞台動画

セリは見当たらなかった。

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舞台上手には、義太夫と三味線の席である「(ゆか)」がある。

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床は2階部分があり、このすだれの中で演じることもある。

この2階部分を「御簾内(みすうち)」という。

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舞台の右側にはスポンサー垂れ幕が下がり、そのさらに右側には2階建ての別棟の建物がある。

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2階は演者の控室。

1階は主催者の事務所や放送席になっていた。

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舞台の左側には来賓席。

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来賓席は建築物ではなく、仮設の観覧席だ。

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来賓席の前は「花道」になっている。

花道も鳥屋(とや)(花道控え)も仮設。

ネットには「スッポン」があるという記述を見かけるが、それらしきものは見当たらなかった。

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升席は緩い斜面になっているので、前の人が邪魔になることもない。実質的には桟敷席といっていい。

この升席部分は、村の家々がそれぞれに権利を持っているので、島外からの観光客は基本的には入れない。

場所は固定ではなく、毎年順番で地域が入れ替わるというようなことだったと思う。

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クライマックスで照明が落とされ、舞台前にある「油鉢(ゆはつ)」で火が燃やされ、その明かりだけで芝居が演じられる。観客たちはかたずを呑む。素朴だが鬼気迫る演出効果だ。

油鉢による上演

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これが油鉢。

照明担当がここに油を注いで、炎を調整する。

右側にあるボトルが油なのだろう。

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升席に茶色い岡持ちみたいな箱があるのがわかるだろうか。

これは「割盒(わりごう)弁当」といういわば幕の内弁当で、小豆島の歌舞伎見物の独特の文化。

幕間などにお弁当を食べるのだ。

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2008年に訪れたとき、まだ席がまばらな時間から会場に行き外周に立って見ていたら、ある家族が私を升席に座らせてくれた。

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その家族が持ってきていた割盒。

岡持ちの中に小さなお重が積み重ねられて入っているのだが、おもしろいのはお重の形が長方形だけでなく、台形になっているのだ。

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台形のお重は、2つがセットで組み合わさって長方形のスペースに収まるようにできている。

徳島にも「遊山箱」というお重型の弁当箱があるが、遊山箱は(みやび)な感じ、割盒弁当のほうが粋な感じを受ける。

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この割盒弁当はこの日だけの特別なお弁当だ。子どもたちもお弁当を食べるのは楽しみだろう。

この農村歌舞伎が、単なる伝統の保存のためだけのものではなく、現代でも村人の楽しみのために存在しているのだということがよくわかる。

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翌日、またこの道を通ったので、あらためて明るい時間帯に立ち寄ってみた。

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観覧席や花道はすっかり片づけられ、昨夜の出来事がまるで幻だったかのよう。

でも干されている衣装や背景幕にわずかににぎわいの余韻が残っていた。

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観覧席の奥側。

右奥に見えるのが、春日神社。

歌舞伎舞台はいわば春日神社の神楽殿の位置づけなのである。

このように、衣装を虫干しする日をこちらでは「ドウヤブツ」というそうだ。

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春日神社の拝殿。

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本殿は拝殿の内部に収蔵されている、いわゆる凸型拝殿。

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神社の拝殿の左側にある屋根付きの桟敷は、かつては特別席だったのではないか。

この席や、神社の拝殿に上がって見ている人もいた。

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歌舞伎舞台の中に入らせてもらった。

舞台は斜面に建っているため、観客席側から見ると低いが、道路側から見るとは2階建てで、舞台は2階にあることになる。

ここは地下、というか、1階部分。

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廊下からは奈落(ならく)(舞台の床下)に入れる。

回り舞台の構造がよくわかる。天井から下がっている棒に肩を押し当てて回すのだ。

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2階へいく階段。

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2階は戸締まりがされているので薄暗い。

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楽屋。

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回り舞台になっていることがよくわかる。

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舞台の正面側。

歌舞伎舞台には下手に楽器の演奏所があるらしいが、ここにはそれらしきスペースはなかった。

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衣装室。

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衣装やかつらなど、720点の小道具と、350冊の歌舞伎台本を収蔵しているという。

小豆島にはかつて30ヶ所の芝居小屋があったというが、現在はこの中山と肥土山の2ヶ所だけが残っている。

肥土山は毎年5月3日、中山は10月第2日曜にそれぞれ上演される。いつか肥土山の芝居も観てみたいものだ。

(2006年10月08日訪問)