八坂神社

牛の守護神として讃岐牛肥育農家の信仰を集める。

(香川県土庄町滝宮)

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珍しい遊具のあった公園は神社の境内にあった。せっかく車を降りたので神社へもお参りしていこう。

境内を入ってすぐ、鳥居の左手に「官牛放牧之跡」という石碑がある。背面に説明があり、いまから1,300年ほどまえに小豆島に牛の官営放牧地があり80年ほど続いたあと別の場所へ移転されたということが『続日本紀』に書かれているという。

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鳥居をくぐってすぐ左側に鐘堂と公民館がある。

この公民館の場所にはかつては別当寺があったのだろう。現在は少しは離れた場所に移転し、梵鐘はそちらのお堂へ移されている。

一般に、八坂神社は元々は牛頭天王という仏教系の神を祀っていた神仏習合の神社だっのが、明治維新の神仏分離で八坂神社になったとされている。

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鐘堂の中には牛の像があった。

元々の祭神「牛頭天王」の語感から、ここが牛の肥育農家の信仰を集めるようになったのではないかと思われる。

ただこの神社に関してはもう一つ気になることがある。

それは神社のある大字「滝宮(たきのみや)」。小豆島では寺の奥の院がある場所を「滝」と呼ぶ。この大字は名刹「笠ヶ滝」の北斜面でもあるし、なんとなく小豆島らしい地名だなと感じて違和感はない。

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だが実は「滝宮、滝ノ宮、滝之宮」という地名は徳島や香川に数ヶ所あり、そこにはたいてい八坂神社(または祇園社・天王社等)があるのだ。つまり滝宮という地名は八坂神社と結びつきが強い。

その例の中で特に由緒がありそうなのは、香川県綾歌郡綾川町滝宮の瀧宮神社(旧称牛頭天王社)なので、そこが起源なのかもしれない。

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境内は広く、参道は森の中へと続いている。

途中には水盤舎と長床がある。

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長床の内部には、大正時代に奉納された和船の模型が安置されている。

帆走から動力船へ変わるまえの古い和船の姿をよく表わしている貴重な史料だという。

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いわゆる北前船などの回漕船業は、教科書では江戸時代のページに書かれ明治に入ると鉄道に取って代わられるイメージだが、実際は商業の規模が大きくなった明治時代にも活躍した。

そういう感覚がないと、瀬戸内の海運で繁栄した港町の時代感を見誤る。回漕船で栄えた港=江戸時代の町並み、ではないのだ。

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長床を過ぎると、左右に建物が並び、正面に拝殿が見えてくる。

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右側には信徒休憩所的なもの。

それと神庫。

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左側には社務所のような建物がある。

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拝殿は入母屋妻入りの建物。

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その正面には絵馬、というか絵牛が奉納されていた。

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島の肥育農家が奉納したものだ。

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拝殿の背後には幣殿があり、

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三軒社流造りの本殿へと続く。

建物は割と新しく見えるので、明治後期~戦前くらいではないか。

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本殿の後ろにも何か摂社のようなものがあった。

「御遷宮記念植林之碑」とかいう石柱があるので、仮宮かな。

(2006年10月08日訪問)