パアン市の文教地区、カンターヤ湖のほとりに博物館がある。
看板も出ていないし外から見ると営業してるようには見えないから、よほど注意していないと気がつかないのではないだろうか。
内部は2階建てでけっこう広く、カレン州の自然、カレン民族の種類、文字、楽器、織物、民具、民間信仰、仏像、美術など幅広い展示物がある。
玄関を入ったところは、カレン州の自然史と生物についてのパネル展示。ここはパネルだけのあっさりした展示室。この博物館は実質的には民俗歴史博物館なのであろう。
カレン州のパアン近郊には石灰岩地形が多くみられ、鍾乳洞もたくさんある。
鍾乳洞の地図があったが、有名どころだけなので、いまひとつ私にとっては物足りない。
カレン州全体の地質のパネル展示。
造山運動の働きによってカレン州の地質は北西→南東方向に帯状に分布する傾向があるし、山脈もその形になっている。
パアン郡区からチャインセジ郡区にかけての青い部分が沖積平野で水田に適した粘土質の土が体積しているエリア。
州の東側はタイとの国境地帯のドーナ山脈という山地で、ラテライトを元にした森林土壌。山脈の北部は高原地帯になっている。
続いて、広義のカレン族のうち、カレン州に居住する詳細部族の解説展示がある。マネキンは12組あった。
なおマネキンの民族衣装をどう見るかなのだが、各マネキンの衣装のデザインパターンや色使いが厳格に部族ごとに決まっているという展示ではないような気がするのだ。
たとえばこれは東部ポーカレン族の展示だが、男性は必ずレモン色の衿、女性は必ず黒い上着という意図ではないと思う。あくまで東部ポーカレン族の一例という程度に見たほうがいい。
解説を読んでみよう。
【解説】ポーカレン(Poe Kayin)族はパアン郡区、ラインブエ郡区、コーカレイ郡区、チャインセジ郡区、ミャワディ郡区を中心とし、ミャンマー全土に住んでいる。
東部ポーカレン族は、カレン州を代表する部族である。
【解説】パレージー(Lalay-gyi)族は、パレーキー、パレーチーとも言い、タンダウンジー郡区、(バゴー管区の)タウングー郡区に暮す、人口の少ない部族である。
【解説】スゴーカレン(Sakaw Kayin)族は、タンダウンジー郡区、パプン郡区、ラインブエ郡区、パアン郡区に住んでいる。ミャンマーのイワラジ管区や他の地域にも多くが暮している。
ポーカレンとともに、カレン族の人口の多くを占めている。
【解説】タレイプェ(Talayphar)族は、主にタンダウンジー郡区に住む部族である。
なんか、説明が簡単すぎないか? 人口が多いのやら少ないのやら。たぶん少ないのだろう。
【解説】パク(Paku)族は、主に(バゴー管区の)タウングー郡区とタンダウンジー郡区に住んでいる。
たぶん、パク語はスゴーカレン語の方言。「民族」の定義はむずかしいが、ミャンマーでは言語が違えばひとつの民族とみなされるようだ。日本でいえば関西弁を話すひとを「関西族」と呼ぶような感じかもしれない。
【解説】ブエ(Bwe)族は、主に(バゴー管区の)タウングー郡区とタンダウンジー郡区に住んでいる。
【解説】モーネプワー(Maw Nei Pwer)族は、(バゴー管区の)タウングー郡区に暮している、人口の少ない部族である。
【解説】モブワ(Mo Pwar)族は、タンダウンジーと(バゴー管区の)タウングー郡区に暮している、人口の少ない部族である。
たぶん、モブワ語はスゴーカレン語の方言。
もし、モブワ族の男性の衣装が常に上下みどりならばかなり見分けやすい部族だと思うのだが、どうなのだろう。
【解説】西部ポーカレン(West Poe Kayin)族は、イラワジ管区、ヤンゴン管区に主に暮していて、国内の他の地域にもいる。
西部ポーカレンと東部ポーカレンはどちらもポーカレン族だが、言語が異なる。西部ポーカレンは「デルタ地域のポーカレン」といわれることもある。
【解説】白カレン(White Kayin)族は、主にピンマナ(Pynmana)周辺に住んでいる。
ピンマナは新首都ネピドーが造られた土地の元の名前。
ネットの日本語の情報では「白カレンとはポーカレンとスゴーカレンの総称」という記述が散見されるが、Wikiから広まった誤情報なのではと思っている。
女性の衣装がラメ入りなんだけど、ホントに民族衣装なの? 高知県人の民族衣装としてよさこいのユニホームを選んでいるみたいなことになってないか?
【解説】トエカリバン(Toekalibaung)族。彼らは主にパアン郡区に暮す。
青ずくめの男性の衣装や、女性の白いサテンの上着がかなり目立つと思うのだが見たことがない。マネキンに着せる衣装のチョイス、ホントにこれでいいのか?
パオ(Pa-O)族。カレン族の一派とも、シャン族の一派ともいわれる。ストイックな衣装がかっこいいので私は好きな部族だ。
【解説】シャン州に住んでいるほか、カレン州、モン州、他の地域にも暮す。
確かにカレン州でもよく見かける。特にウィンセイン町に多いように思う。
結局、12組のマネキンを見ても部族の見分け方が理解できたわけではない。部族の説明版ももう少し詳しく書いてくれないかなぁ。何語を話すかとか他の部族にない特徴があるのかなどを。
パオ族だけは特徴があるので見間違うことはないが、他の部族が服装から見分けられる気がしない・・・。
そもそもパオ族の最新の衣装はこの展示と違って布地の商品タグを見えるように縫製するのが主流になっているし、頭に巻いているタオルも歴史は30年程度しかさかのぼらないというような噂もあり、日本人が想像する「民族」や「伝統的衣装」とは考え方がそもそも違っているのかもしれない。
カレン族の古典的なアクセサリーとされるもの。
続いて、文字の展示コーナーがある。
「東部ポーカレン語」を表記するための文字「東部ポーカレン文字」。
たぶんポーカレン語を表記する場合のもっとも普及している文字だ。仏教の僧が考案した文字なので「仏教ポーカレン文字」とも呼ばれる。
わかりやすい特徴は子音の表の最下段にある「⊙」のような文字。
「西部ポーカレン語」を表記するための「西部ポーカレン文字」。
もともとキリスト教宣教師が東部ポーカレン語を表記するために考案した文字が、西部で普及した文字だといい「キリスト教ポーカレン文字」とも呼ばれる。
西部ポーカレン文字の見分け方はたぶん声調記号の表の真ん中あたりにある2分音符みたいな文字(ᑯ)がよく出てくること。
中央は「スゴーカレン語」を表記するための文字「キリスト教スゴーカレン文字」。
特徴は声調記号の表の左から3マス目の「ᒣ」みたいな文字。
久しぶりに来てみたら文字のパネルが増えていた。
「スゴーカレン語」を表記するための「仏教スゴーカレン文字」。
ミャインターヤ僧正という僧が考案したという。声調記号のところにある「∠」みないな文字。これが子音の下に飛び出ていたらたぶんスゴーカレン文字のテキスト。
中央は何度か紹介している「レーケー文字」。
東部ポーカレン語を表記するための文字のひとつ。レーケー教信徒が使う文字だ。
魔術的な雰囲気の文字でかっこいい。
このほかにも東部ポーカレン語を表記する文字はいくつかあるという。
これは「
元々、カレン語の文字にしてもビルマ語の文字にしてもその起源はモン語の文字である。
ある時期にカレン族は、モン文字をもとに自分たちの言語を表記するためのカレン文字を生み出したと考えられている。そうした古い文字の発生はお寺の貝葉を調べることで研究できる。
貝葉はこのような文箱に収められている。
「文字」がどれほど重要なものなのかわかるだろう。
続いて楽器のコーナー。
これはカレンドーンといって、銅製の戦鼓。
この太鼓と水牛の角の組み合わせは、カレン族のシンボルマークになっている。
くぎ隠しが四つんばいのカエルのデザインになっているのが特徴。
これは葬儀などに使われる特別な
くぎ隠しのカエルが右回りなのが特徴か?
日本人が好きな竪琴。
続いて、染織のコーナー。
カレン州の伝統的な
自然染料には、黒、赤、青(緑)、黄色、明るいオレンジ色があるという。青を染める自然染料は、一般的には藍と呼ばれる
原始機ジャッコゥの写真と、天然染料の見本。
赤を染めるためのチークの実。
ほかに、黒、黄色の素材は並んでいるが、青を染める素材は残念ながら展示されていなかった。
カレン族の伝統的な織物は、このように赤、青、白のトリコロールである。
右のロンジー(スカート)には明るいオレンジ色や紫も使われている。
上着には細い草の種が細かく刺繍されている。
こうした上着はデルタ地帯にすむカレン族の衣装だという。
特別にケースからロンジーを取出してくれた。赤を基調とした横縞(布を横に使っているので布としては縦縞)のデザインが、カレン族の伝統的なロンジーだという。こうしたロンジーには50~100年は経っているものがある。その前がどうだったのかはわからないが。
19世紀末には化学染料が登場しているので、このロンジーも科学染めの可能性が高い。民芸運動を経た現代の日本人は「天然染め>化学染料」という価値観だが、ミャンマーでは「天然染め=原料がタダ=お金のない人の染め方、「化学染料=お金がかかる=羞ずかしくない染め方」というような見方をする人も多い。
続いて、住居や民具のコーナー。
ポーカレンの伝統的な高床住居という模型。
ヤンゴンの民族村博物館にもこれと同じ形の建物があるけれど、私はカレン州でこうしたバルコニー付きの高床住居って一度も見たことがない。
見てみたいものだ。
スゴーカレンの伝統的な高床住居という模型。
スケール感がよくわからないが、竹を丸瓦のような形に半分に割って互い違いに並べた屋根が特徴なのだろう。
入口が茶室の
その他、民具や祭具がたくさん並んでいる。
続いて、民間信仰のコーナー。
仏教カルトのひとつテラコン信徒が着ていたという古い衣装。
仏教カルトのひとつレーケーの歴史について書かれた説明パネル。レーケー文字が天啓によって授かったという経緯、その後、どのように教団が運営されていったかなどが細かく書かれている。
しかも、すべての文章がレーケー文字、ミャンマー文字、英語の対訳付きで書かれているという貴重な文書。
HpuNaiTaungHlya という僧がカレン語の文字を欲してズェガビン山に籠ったところ、天啓によって聖典を授かったが、最初彼はその文字を読むことが出来なかった。その文字を解読したのが HpuMawYaing という人物だったとか、そのような話。
これはたぶん、レーケーの古い貝葉。
現在の文字とは少し違うかもしれない。
続いて、2階へ。
大きな博物館の常であるが、最初のところから真面目に見ていくとどうしても途中で疲れてきて後半が雑になる。
2階は仏像と仏教美術の展示で、こちらも結構な数の展示物があるのだけど、あまり丁寧に見られなかった。
インワ朝時代(1287‐1555)の石彫の仏像。
同じくインワ朝時代の木彫の仏像。
仏像はかなりの数がある。
素焼きの仏像や仏龕。
2階の展示だけで、紹介にはかなりの文字数が必要なのだ。このときは仕事の途中だったので通訳さんも同行していたが、博物館の展示の通訳って高度なスキルが必要だしたぶんすごく疲れるはず。
機会があればもう一度行ってみるしかないかな。
(2014年02月10日訪問)
D21 地球の歩き方 ベトナム 2025~2026 (地球の歩き方D アジア)
単行本(ソフトカバー) – 2024/6/13
地球の歩き方編集室 (編集)
amazon.co.jp