サダン洞窟はパアン地域の最大の観光地で、日本人スタッフが新規にパアンを訪れたときに時間があれば連れていく観光鍾乳洞である。ここを見ればカレン州の観光の潜在力や将来性が体感できる場所でもあり、仕事でパアンを訪れる場合でも視察しておいて損はないと思う。
そんなわけで私は新規のスタッフが来るたびに度々訪れているので、何度か記事を書いている。
①サダン洞窟、②サダンケーブの遊覧池、③ハインスィン洞窟、④サダン沼の放生供養
だが、サダン洞窟自体の再訪記事は書いておらず、この5年間でだいぶ様相が変わっているので、改めてサダン洞窟と遊覧池について書いてみたい。
以前はこのへんに適当に駐車できたが、いまは有料駐車場が整備されているので、そちらに車を置いて洞口までは徒歩となる。
さて、ここで重要な注意事項がある。
ミャンマーでは鍾乳洞はお寺の管理で基本的にパゴダと同じ存在。したがって鍾乳洞に入るときは洞口で履物を脱がなければならない。だが、新たに開通した周遊コースを通るなら、履物は手に持っていくべし。
洞口はこの階段の上にある。階段の手前で現地人がサンダルを脱いでいるが、日本人は真似をしてはいけない。帰路で砂利道を歩かなければならないのだ。現地人は歩けるが、日本人には無理で確実に半泣きになる。
洞口には2頭のゾウの像がある。以前の記事では、洞窟の守り神くらいに書いているが、これはこの洞窟の伝説にかかわるものだった。
その伝説とは次のようなものだ。
釈迦は悟りを開いて仏陀になって涅槃に入った。つまりそれは最終的な境地であって、もう生まれ変わって現世に現われることはない。だが、釈迦が仏陀になる以前には何度も転生してきた。人間だけでなく様々な動物に生まれ変わったこともあった。
オシドリに生まれ変わったときの物語については以前に書いたこともある。
サダン洞窟にまつわる伝説は、釈迦がゾウに生まれたときの物語である。
むかしむかしのことです。カレン州にはたくさんのゾウがいて、この鍾乳洞にはゾウの王、サダンが住んでいました。このサダン王こそ釈迦の前世です。
サダン王には500頭の家来と2頭の妃がいました。あるとき王は祝いの宴を催し、彼は2頭の妃の頭に花冠を載せました。ところが一方の花にはアリが付いていて、そのアリは王妃の耳の中を噛んだため、驚いた王妃のゾウは大勢の家来の前で取り乱してしまいました。
噛まれたゾウの妃は、自分が恥をかかされたのはサダン王がもう1頭の妃だけを愛していたからだと思い込んで病気になり、サダン王を恨みながら死んでしまいました。
ゾウの妃は次に人間の娘に生まれ変わりました。
娘はたいそう美しかったので、成長するとその国の人間の王に見初められて妃となりました。ですが彼女の無意識には前世の呪いの気持ちが残っていたのです。
ある日、彼女は
「わたしはサダン洞窟に住む巨象の牙がどうしても欲しくなった。あのゾウを殺して牙を私の前に持ってきてください」
と、夫である王に願いました。
王は1人のハンターを雇ってサダンの住む洞窟に潜入させました。ハンターはサダンを殺そうと隙をうかがいますが、サダンはとても屈強なうえ、家来もたくさんいるのでどうしても襲うことができません。
そこでハンターはサダンが1頭になるトイレで襲うことにしました。ハンターはサダンのトイレの穴の中に身を潜め、サダンの腹を下から槍で突き刺そうと考えたのです。いかに屈強なゾウでも腹は柔らかいからです。
サダンはトイレに入るとすぐにハンターが潜んでいることに気付きました。と同時になぜ自分が襲われようとしているかを悟りました。かつて妃に恥をかかせ死なせてしまったことの因果応報によって、いま自分が襲われているのだと知ったのです。
「ハンターよ、これは私が犯した罪の償いだ、お前に牙を与えよう!」
そう叫ぶと、サダンはハンターが槍を構えている上に自分の体重を乗せるように覆いかぶさりました。
サダンの悲鳴を聞いて家来たちがやってきましたが、サダンは自分の身体でハンターを隠したので穴の中のハンターは見つかりませんでした。家来たちが犯人を探すために散ってしまってから、ハンターはサダンの体の下から這い出し、牙を切り取りました。
ハンターは王城に戻り、人間の妃にサダンの牙を献上しました。そしてどのようにサダンを倒したかの一部始終を話しました。
それを聞いた人間の妃は前世のゾウだったときの記憶をすべて思い出しました。
そして今になってサダン王が自分を愛していたことを知ったのでした。
妃は自分がしたことへの後悔と悲しみのため、そのまま死んでしまったということです。
・・・これがサダン洞窟に伝わる物語である。
洞窟にはその伝説にまつわる場所がいくつかある。
この左側にある白い石筍はサダン王の牙と言われるもの。右側のギザギザの鍾乳石は、ハンターがサダン王の牙を切るときに使ったノコギリが石になったと言われるものである。
5年前に来たときにはこういう看板はなかったような気がする。
祝日ということもあって、洞窟内は人が行列する混雑ぶり。
途中途中にある撮影スポットはどこも人が途切れないので、きょうはいい写真を撮るのは無理だ。
一番深い縦穴のホール。
以前は穴の底まで急な階段で降りて、反対側でまた階段を登らなければならなかったが、いつのまにか橋が出来ていた。
それにしてもこの橋、こんなにたくさんの人が乗って大丈夫なのかね。
細い角パイプを溶接して作られているのが、怖いんだけど・・・。
下が真っ暗でよく見えないからなんとか歩けるが、高所恐怖症の人はたぶん歩けないぞこれ。
洞内には所々に看板があるので、サダン王の物語を思い出しながら巡るのも一興だろう。
出口付近、サダン洞窟で最も美しい場所「ゾウの王の石柱」と呼ばれる石筍。
人がいっぱいでうまく写真が撮れない。
洞窟の出口は下りの石段になっている。
サダン洞窟は貫通型鍾乳洞で、山脈の裏側に出口がある。
いや~、すごい混雑ぶりですな。
洞窟の出口では
通訳さんが「これは買わなくてもイイヨ」と言うのだけど、珍しいし記念になるので初めての人がいるときには買うことにしている。
1,000チャットでナマズが2匹入っていた。
ちょっと高いな。
ナマズは池に逃がせばいい。
これを放生供養といって、功徳を積んだことになるのだ。ミャンマー固有の行事ではなく日本にもある。
サダン洞窟の出口からは、さらに別の貫通型鍾乳洞ハインスィン洞窟へ行くことができる。
以前は湿地を歩いて行かなければならなかったが、ここにも橋が出来たので足を汚さずに行けるようになった。
でもあまり行っている人はいない。まだ知名度が低いのかな。行ってみたら停電中で、懐中電灯なしでは入れなくなっていた。サダン洞窟は照明がついていたから自家発電なのだな。
さて、ここからが新ルートになる。
以前、この沼で遊覧ボートに乗ったことは書いた。
そのときは喫水が2~3cmしかない丸木舟で、呼吸を調えないと乗れない恐ろしい遊覧舟だったが、いつのまにか喫水の高いよくある渡し舟のようなボートに変わっていた。
そして、沼の先に水路が開削されて、サダン洞窟の駐車場のほうへボートで戻れるようになったのだ。
料金は通訳さんがまとめて払ったのでちょっとハッキリしないが、以前、相乗りする客がまったくいなくて1艘を借り切ったときに6,000チャット(480円)だったので、相乗りしたら1人2,000チャット(160円)くらいじゃないかな。
船頭さん+私たち4人で乗船して出発。
私たちの通訳さん。
クリティカルな通訳業務のときにだけ来てくれる人で、とっても有能な女性。しかも敬虔な仏教徒なので、この人が通訳に付いてくれると質問攻めにしてしまうこともある。
貫通型の水没洞窟で山脈を通り抜ける。
これで、サダン洞窟の洞口があった側に戻れるわけだ。
貫通洞窟を出ると広い池になっている。
以前はこの池をひと回りして戻っていたのだが、この先の湿田の中に水路が開削された。
水路へ進入。
客を乗せたボートは一方方向で、駐車場からコチラへ乗ってくる客はまったくいない。
水田の中を行くため日本の水郷のようでもあり、中々の風情。
サダン洞窟を歩いて戻ればタダだけど、ここはぜひボートで戻ることをオススメする。
なお、暑季には水が減ってボートの運航が止まることもあるようだ。3~4月ごろは沼の中を遊覧するだけになるかもしれない。
それにしてもすごいボートの数だな。
きょうは相当儲かっているにちがいない。
なにせ、1回の運賃6,000チャットは、カレン州あたりの最低賃金の日給なのだ。
寺銭を取られるのかもしれないが、1往復で1日の稼ぎに相当する売上になるのだから、やらない手はないということなのだろう。
ボートの降り場。
ここから駐車場までは500mほど歩かなければならない。
途中で蜂蜜を売っていた。
地面を見て欲しい。道はこんな感じの砂利道で、日本人は裸足では歩けない。ボートに乗るときは必ず履物を持っていこう。
サダン洞窟の周遊ルートをまとめると、下図のようになる。
ボートで戻る場合は履物持参、ハインスィン洞窟を見る場合は履物と懐中電灯が必要だ。
所要時間はサダン洞窟とボートで2時間あればゆっくり見られる。ハインスィン洞窟を探検する場合はプラス1時間といったところか。
(2019年11月11日訪問)
旅の指さし会話帳44 ミャンマー(ミャンマー語) (旅の指さし会話帳シリーズ)
単行本 – 2003/4/24
浅井 美衣 (著), 曽根 愛 (イラスト)
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絵が多く見ているだけでも楽しい。実用性もあり、現地の人へのプレゼントにも使えます。