![写真](40ferryboat22.jpg)
![写真](40ferryboat20.jpg)
![写真](40ferryboat21.jpg)
事前に衛星写真で見た様子がこれ。
両岸に道路があり、渡船の待合小屋のようなものも見えるのでたぶん渡し舟はある。だが舟は小さく、オートバイを渡せるかどうかは判断できない。
これまでこういう渡船場でオートバイを渡せた勝率は5割程度。ダメだった経験もけっこうあり、五分五分の賭けである。
![写真](40ferryboat01.jpg)
もしダメだったらどうする? チャイノクワ橋まで迂回するか、往路と同じ道を戻るか、そんな不安を抱えながらの道行きである。
経路はパアパゥン山の裏側を通っていくので、山脈の裏側にもお寺や洞窟っぽいものがないかをよくよくチェック。
![写真](40ferryboat02.jpg)
渡船場への道は相変わらずの悪路だ。ワダチの跡を外れたら路盤のバラスの上でハンドルをとられるか、砂地でスリップするので、まったく気が抜けない。
そしてそれより恐ろしいのが、さっきから前にも後にもまったく通行人がいないことだ。往路のザペグゥの渡しでは取付け道路にたくさんのオートバイが走っていたので安心感があったが、この道は走れば走るほど絶望が雪だるまのように大きく膨れていく。
![写真](40ferryboat03.jpg)
結局、アトラン川で行き止まりになるまで、誰一人出会わなかった。
![写真](40ferryboat04.jpg)
待合所は川から少し離れたところにある。増水するとここまで水がくるのか。
もう気持ちの上では渡河はほとんどあきらめていたが、一応船着き場まで歩いていくと、
![写真](40ferryboat05.jpg)
なんと、渡船を待つオートバイがいるじゃないか!
やったーっ!!
これでムドン経由で帰れる!
![写真](40ferryboat06.jpg)
渡船待ちの現地人は「こんな方向から日本人が来たよ!」ってビックリしている。
ムドンに行きたい旨を伝えると、大丈夫と言われ一安心。
対岸が見えるところに行ってみると、ちょうどオートバイを載せた渡船がこちらへ向かってくるところだった。
![写真](40ferryboat07.jpg)
![写真](40ferryboat08.jpg)
ザペグゥの渡船場と比べると小さな船着き場だが、頼りないと感じることはなく、むしろ「文明ってやっぱりいいものだな」という安堵感でいっぱい。
それにしてもこの雰囲気、矢切の渡しの松戸側と似てない?
![写真](40ferryboat09.jpg)
オートバイの載せ方はタラップの上を転がす方式。
![写真](40ferryboat10.jpg)
腰に優しいし、そもそも船頭さんがオートバイを載せてくれるので誤って川に転落するというような心配もない。
![写真](40ferryboat11.jpg)
なぜか私の順番を早くしてくれた。
![写真](40ferryboat12.jpg)
エンジン始動。
![写真](40ferryboat13.jpg)
離岸。
これで本当にムドン方面へ行けることが確定。半ばあきらめかけていたので、こうして右岸が遠ざかっていくのを見るのは本当にうれしい。
![写真](40ferryboat14.jpg)
アトラン川の上流方向。
遠くにうっすらとアトランヒルと呼ばれる山脈が見えている。チャイノクワ橋はあの山脈のふもとにあるのだ。橋を渡るとしたら、あの山脈の裏側を巻かなければならなかった。
![写真](40ferryboat15.jpg)
無事に渡河完了。
![写真](40ferryboat17.jpg)
待合所で運賃を支払う。
やはり1,000チャットだった。
待合所の看板によれば、コォウェ村という場所らしい。
![写真](40ferryboat16.jpg)
村の小さな渡船場だが、想像以上に快適な渡河だった。
![写真](40ferryboat18.jpg)
私と一緒に渡河した人たちはすぐに出発せず、なぜかいったん茶店に入っていった。
![写真](40ferryboat19.jpg)
アトラン川の渡河に成功したとはいえ、ここはまだ辺鄙な村にすぎない。
舗装道路のパヤトンズ街道はまだ遠い。街道に出るまでこんな道を8km走らなければならないのだ。
(2019年03月01日訪問)