この神社のご神体の大岩は、赤城山、あるいは、浅間山の噴火の際に巨大な岩塊が飛んできてこの場所に落ちたという伝説から「岩神の飛び石」と呼ばれる。
この神社の住所は昭和町だが、すぐ西には岩神町という住所がある。「岩神町」はこの飛石稲荷からついた名前であり、その神社が岩神町から外れたのはおかしな話だ。
神社の前の道は拡幅されてそのときに神社の雰囲気もだいぶ変わってしまった。
拝殿はごく最近、立て替えられたものだ。
拝殿の後ろには小さな本殿と、ご神体の「飛び石」。
また、飛び石の中腹に末社がある。
本殿は一間社流造。
どぎつい赤い色で塗られた、北関東らしい極彩建築だ。
岩体の高さは9.65mといい、利根川の氾濫原である前橋北部には他に例を見ないような大岩である。それゆえ、この岩がどこから来たのかという謎は、古くからいろいろな物語を生んできたのだろう。
この岩と同じ組成の岩が、利根川の上流阪東橋付近にあるといい、その崖が崩れたものが、浅間山の噴火による泥流で押し流されたものだと現在では考えられている。その崖は赤城山の火成岩を起源としているので、この岩は赤城山の溶岩でできているということだ。
この岩には少し怖い伝説も伝わっている。
まだこのあたりに住む人も少なく神社もなかったころ、石工がこの岩からら石材を切り出そうとしたことがあったそうだ。石工が岩にノミを打ち込んだとたん、岩から血が流れ出て、その石工は死んでしまった。そのため今でも岩の一部が赤く染まっているのだという。その後、岩のたたりを恐れて神社を勧進したのが飛石稲荷のはじまりという。
子供のころこの岩山に登ってみたかったのだが、血が流れた伝説も聞いていたので、怖くて登ることができなかったのを思い出す。
いまでもちょっと登ってみたい気がする。
(2013年03月03日訪問)
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栢木まどか (監修)
関東大震災後、現代の東京の骨格をつくった「帝都復興計画」と、未曾有の災害から人々が奮起し、建てられた「復興建築」を通して、近代東京の成り立ち、人々の暮らしをたどります。
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