高原桑島の民家

石井町で見かけた、普通の民家たち。

(徳島県石井町高原池北)

この日見かけた、石井町の普通の民家をまとまりもなく紹介しようと思う。このあたりは吉野川の氾濫原で、吉野川支流の稲尾川がたびたび水害を引き起こしてきた地域だ。

紹介する範囲は旧高原村、現在の石井町高原のあたりになる。

石井町の民家というと、国重文の藍農家・田中家と、国重文紙一重の県文の藍農家武知家があり、まずそこの紹介から入るのが筋だろうと思うのだが、どういうわけかその両家とも写真が見あたらない。(訪れたとき撮影条件が悪く、後でちゃんと撮ろうと思ったままになっている可能性がある。)とにもかくにも、このエリアの農作物の歴史を代表するのは藍である。書物によれば藍の全盛期は江戸~明治であり、大正以後は養蚕に、戦後は都市近郊野菜へと移り変わったということになっている。

藍農家の特徴的設備である「藍の寝床」はそのまま養蚕の「蚕室」にも転用できそうだが、建物の起源を考えれば、このあたりの古い農家は養蚕農家ではなく藍農家として見るのが適当だろうと思う。

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吉野川氾濫原の典型的な風景とも言える、四方蓋(しほうぶた)造りの農家。

➡場所

茅葺きの寄棟屋根に瓦葺きの下屋を巡らせた民家の形態だ。江戸時代には総瓦葺きの屋根は特権階級だけのものだったはずだが、下屋部分は許されていたのかもしれない。

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こちらも同じように四方蓋造りのかわいらしい民家。

➡場所(現在は建て替えられている)

四方蓋造りの民家は寄棟屋根であり下屋もあるから、室内で火を使ったときの排煙がやりにくい。おそらく竈は瓦屋根の下屋部分にあって、そこから煙突や煙出しなどで排気したのだろうと思う。

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大きな二階建ての民家。こうした大きな二階屋は江戸末期に藍玉で財を成した豪農の屋敷に見られるが、広く普及したのは明治時代以降だろう。

➡場所

四方蓋造りと共通するのは、主屋に対して下屋が廻っていることだ。

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こうした主屋の間取りの特徴として、(かまど)を持つ台所(=釜屋(かまや))が主屋の背面(北側)に突き出しているという点が指摘できる。こうした主屋を暫定的に「出釜(だしがま)造り」と呼ぼうかと思う。

➡場所

そして釜屋の上部には煙出し櫓が設置されることが多く、その櫓に贅が凝らされているのが徳島の豪農の見どころだと思っている。この家のような豪華すぎる煙出し櫓を当サイトでは「うだつ櫓」と呼ぶつもりだ。(阿波国すきま漫遊記の10話で特集する予定)

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これも私のいうところの出釜造りの民家。年代的にはかなり下り、昭和前期くらいではないかと思う。

➡場所

釜屋の煙出し櫓の有無は民家の正面から判断できず、側面か背面に回り込まないといけないのが厄介なところだ。

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写真撮影も難しく、逆光になりがち。

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ベーハ小屋発見!

➡場所

葉タバコの産地はどちらかというと吉野川の北岸の扇状地地帯の印象だが、ここ石井町でもかつてはタバコ農家があったのだ。

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2階部分に窓がついている。

隠居屋かこどもの勉強部屋にでも改装したのだろう。

(2008年04月06日訪問)