鶯の瀬

鶯が鳴いて渡河できる場所を教えたという瀬。

(埼玉県深谷市畠山)

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井椋神社の裏手は荒川の崖線になっているのだが、そこに小さな公園がある。

この辺りの荒川は浅瀬になっていて、「(うぐいす)の瀬」と呼ばれている。

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平安時代末期、畠山重忠は榛澤(はんざわ)成清(なりきよ)の屋敷を訪れた帰路、荒川が増水して渡河できずに困っていた。するとそのとき鶯が鳴きながら川面を渡り、浅瀬の場所を知らせたので無事に帰宅できた。この故事にちなんで「鶯の瀬」と呼ばれているという。

榛澤成清は重忠の家臣で、住居は現在の深谷市後榛沢にあった。その場所はいまも残っている。成清は重忠が謀殺された戦いの際も同行していた重臣の一人だった。

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案内板によれば、鶯の瀬は増水時にも渡れる場所だとされている。

つまり、荒川の川床が平坦で、河道が広く水が均一に流れている場所ということだ。おそらく地図の点線のあたりであろうと思う。("⇩"は公園の位置。)

少し下流にある飛び岩河原付近も広い浅瀬だが、凸凹が多く馬には歩きにくいのかもしれない。また少し上流に瀧の渡しがあったとはいえ、馬を乗せることはできないから古くから騎馬で渡河できる場所として知られていたのだろう。

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公園へ行ってみる。

崖線をわずかに下りたところにある。

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晩秋だからいいけれど、夏だとヤブ蚊に悩まされそうな公園だ。

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公園から河道へ下りることはできない。ただ川面を眺めるだけ。

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このあたりが鶯の瀬なのだろうか。

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公園の西側には河原へ下りる道もある。

この道が鴬の瀬で渡河する馬や馬車などの通り道だったのだろう。畠山重忠もたびたびこの道を通ったのかもしれない。

(2023年11月05日訪問)