
現在、荒川の堤外地の高水敷に人が住んでいる場所はないと思う。(あえて言えば吉見町の2個所の横堤集落があるが。)
だが戦後くらいまでは堤外地にも村があったのだ。そのひとつが熊谷市の新川村。その跡地に行ってみた。

新川村跡には現在も農地が残っていて、村だった場所を歩くことができるし、車で通り抜けることもできる。

こうして村内の道を通っていると、いまでも村があるような感じがしてくる。

村の跡にいまはゴルフ練習場があって、この場所だけはけっこうにぎわっている。
打ちっぱなしは屋根があるがゴルフネットがなく、とても開放的。

場所が場所だけに営業時間は昼のみでナイターはない。

そのゴルフ場の横に昔の墓地の跡がある。


地蔵堂の中に石仏が集めてあった。

如意輪観音。

村の中の道を進んでみる。

NPOか何かが運営している農園があり、そこに村の案内図があった。

この場所にはかつて渡船や河岸があったが鉄道の開通で舟運がなくなり、その後は養蚕の村となったがそれも衰退し、戦後まもなく廃村になったというような歴史があるらしい。

村の非常に詳細な地図。
個々の家の歴史まで書かれている。

とても素晴らしい案内板だ。2枚あるが、これ作るだけでも何十万円かかかったのではないかな。だがその案内板もいま朽ち果てつつあった。あと10年もしたらこの案内板も土に返っているかもしれない。

国土地理院のサイトで昭和23年(1948)の新川村を見てみると、まだ家屋があるのが確認できる。昭和22年にカスリーン台風によって堤外地は冠水したと思うので、この時点でもう村を離れる決断をした人が多かったのではないか。
なお、案内板によれば養蚕の村だったということだが、堤外地にはあまり桑園がないように思う。多くは水田のようで、一部に掘り上げ田のような圃場もある。


新川河岸は行田への物流基地で、忍藩の御用船だけで60槽も停泊していたというが、いまはもうその面影はない。


如意輪観音と高地蔵基壇。
(2025年06月19日訪問)