流川橋跡

訪れたときにはすでに撤去されていた。

(埼玉県東松山市新宿町)

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東松山市新宿町あたりの、市野川右岸堤防。

東松山市がすごいなと思うのは、この新宿町、山崎町、六軒町、あるいは高坂のあずま町のように、過去の氾濫原の低地に新興住宅団地を造成して市街化してるところ。

『ガンダム』で人類がスペースコロニーを造ったみたいに、科学技術を信じて、元々人類が住めなかった場所を第2のふるさとにしていくみたいな強さを感じてしまうのだ。

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この辺りは戦後くらいまでほとんど人家がない遊水地みたいな場所だったのを高い堤防を築いて市街地に変えてきた。

特にここから下流の市野川は堤外地が怖いくらいに狭く、堤防の高さだけを頼りに人が住んでいる場所だ。

私が住んでいた川越市の界隈だとあまりこういう攻めた感じの住宅地ってなかった気がする。気付かなかっただけで、よく見たらあったのかな。

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その堤防の上に登ってみた。

このあたりに古い沈下橋があるからだ。

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残念ながら橋はなくなっていた。過去の航空写真を見ると2013~2014年の間に失われたようだ。

2026年現在、国土地理院の地形図にはまだ橋が残っているが、もう復活することはないような気がする。

増水時に橋にゴミが引っ掛かかって流れが妨げられれば、それがきっかけになって氾濫が起きることもある。行政としてはこの橋脚すら除去して、市野川の流下を少しでもスムーズにしたいはず。

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実はこの場所にはさらに古い橋の橋台が残っている。

現在の堤防の天端(てんば)より1mほど低い位置にある。

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親柱も残ってい昭和11年竣工とある。

現在の堤防が造成されたときに抜水橋として造られ、それなりに立派な抜水橋だったのではないかと思われる。

古い橋が抜水橋で、その後、沈下橋が造られたというのが不思議ではある。

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橋の西詰めの取り付け道路の入口に辻堂があった。

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庚申塔で、どうやら鎌倉街道の古い道しるべを兼ねているらしい。

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時間帯で光線が悪かったのか、道しるべの文字は読み取れなかった。

青面金剛が彫られていないことから江戸前期の古い庚申塔ではないかと思う。

(2022年10月29日訪問)