これから市野川の下流部の沈下橋を紹介していく。
私は荒川水系のすべての橋を見ていくというつもりは毛頭なくて、主に沈下橋をターゲットにしてきた。そもそもこの小さな旅の動機が、関西に住んだときに川越周辺の沈下橋を懐かしく思い出して、それを確認したいと思ったのが始まりだからだ。
さて、沈下橋の定義は増水時に水没することが前提の橋というものであって、これから紹介していくいくつかの橋はその意味ではまさしく沈下橋である。ただ、多くの人が考える四万十川の沈下橋のイメージとはだいぶ違うものになる。
市野川下流は荒川との合流地付近で、中間に背割堤があるのを無視すれば川幅(堤外地)は1~2kmにもおよぶ。しかも堤外地は丸石がころがる河原ではなく一面の耕地なのである。その耕地で活動するためには当然堤外地にも道路や橋が必要となる。そこにある橋はすべて高水時には水没するから沈下橋ということになる。その数は行政が登記して管理しているものだけでも荒川の堤外地には100基以上はあるだろうし、ヒューム管を埋めただけのような簡易な土橋や馬入れも含めれば途方もない数になる。それらをいちいち、沈下橋として観賞するのは無意味だ。
これから紹介するいくつかの沈下橋は、そのなかでも大型でギリギリ観賞の対象になりうるものだとは思っているが、かといって「面白から、ぜひ行ってみて!!」というものではない。
市野川の最下流、鳥羽井河岸跡のすぐ近くに
周囲は田んぼで、道路からも同じ高さで橋台があるから、一見すると沈下橋には見えない。
でもこの周囲の風景、田んぼ、道路、電柱、道路標識すべてが水没する場所なのだ。したがって橋も沈下橋なのである。
あえて着目するとしたら、欄干が異常に低いこと。縁石とあわせても30cmくらいしかない。
冠水したとき、流木やゴミが引っかかって橋が壊れるのを防ぐためである。
一般に手すりは110cm以上が必要で、30cmだと歩いて渡るとちょっと怖い。もしかしたらこの手すりすら後補で、元々は縁石しかなかった可能性もある。
橋から見た市野川下流方向。
かつて鳥羽井河岸があった場所だが、その当時からは相当水位が下がっていると思う。舟運があったころの荒川は激しく蛇行していて、水が滞留して水位があり、帆船の運航が可能だった。
現在は直線化して一刻も早く水を海まで流すようになったため、川底は下がり、床止め工が必要なほどなのだ。
橋から見た上流方向。
蛇行する川を土木工事によって直線にしたものを「
市野川もかつては蛇行していて、それがさらに蛇行する荒川に合流していた。そのため合流地での氾濫の危険性が高かったが、江戸時代にはすで市野川側は捷水路化されていた。
この場所には、もうひとつ荒川への排水路がある。上流は鳥羽井沼で、長楽用水の水が最後にたどり着く貯水池だ。
この排水路にも橋が架かっている。
コンクリートの桁橋だが、これも沈下橋といえば沈下橋だ。こうした橋にはいちいち名前がないことが多く、川島町管理の「2-41号橋」となっている。
2-41号橋から見た川島排水路の下流側。
上流側。
まぁ、楽しい風景でもないけれど、あとで何に役立つかわからないから、一応記録しておこう。
大塚橋から北方向へ続く道路は、河原の中の道だが舗装されている。古くから人の往来があった道だ。
橋から少し北へいったところの道ばた馬頭観音がある。
草刈り時に機械がぶつからないようにポールが建ててある。
文字碑で、安政2年(幕末)の銘がある。
(2022年12月16日訪問)
