
熊谷陸軍飛行学校、桶川分教場の兵舎が残っていて見学できるようになっているので行ってみた。
太郎右衛門橋の東詰の崖線上にある。滑走路がある河原からは荒川の対岸になる。当時太郎右衛門橋は沈下橋だったようだ。
兵舎へ向かう直線道路。写真右端の小さな白い標識があるところに境界杭があり「陸軍」の文字が確認できる。

確か半分廃虚みたいな雰囲気の場所だと思っていたのだが、行ってみるとおどろくほどきれいになっている。2020年に改修されて桶川飛行学校平和祈念館としてオープンしたという。
来るのがちょっと遅かったか・・・。
敷地には開校当時の建物が5棟残っている。(平面図緑色の箇所)

桶川分教場が開校したのが昭和12年6月、閉校したのが昭和20年2月のことだった。閉校した理由は、特攻隊の訓練基地になったためである。
終戦後は戦災住宅のような施設として使われ、「若草寮」と名付けられた。300人の人々が住んでいたという。平成19年(2009)に最後の住人がいなくなったあと資料館となった。そういう経緯から、この施設は防衛庁ではなく市が管理している。

5棟の建物は市指定文化財に指定されている。

守衛所棟内部。
ピカピカに改修されていている。たぶん柱と梁を残して耐震化工事をした上で、壁、床、天井はどはすべて入れ替えたのではないかと思う。

弾薬庫。

校庭。
右側の建物は車庫棟。

車庫棟の天井もきれいに復元され、現在は内部に模型が展示されている。

メインの展示となる本部宿舎棟。
樹の右側に玄関があり、玄関の右側は下士官室、左側が学生の宿舎で5部屋ある。

ただし建物は終戦後、住宅に改造されたので間取りなどはだいぶいじられたようだ。
現在の修復は、若草寮時代の改造をすべて取り除き、開校当所の姿に戻されている。
個人的には本来と違う姿に改変された建築であったも、改変後の姿を見るほうがいいと思っているので、完全に修復された時点でもうそれはプラモデルとかディズニーランドのシンデレラ城的なものに見えてしまうのだ。

宿舎の廊下。
すべての部材がピカピカだ。1ミリも古さが感じられない。映画のセットでももう少し時代感があるだろう。

この建物は宿舎だったから、本来はベッドが並んでいる部屋だったが、現在は展示室になっている。

1部屋だけベッドが再現されていた。
陸軍でも飛行隊のパイロット養成となれば、それなりのエリートだったはずで、戦況がよかった時代は待遇もよかっただろう。

展示室。

当時の教本や備品が展示されている。
特攻隊訓練基地になってからの、特攻隊の個人の写真や顛末などの展示もある。

兵舎の裏側には渡り廊下があり、教室棟につながっていたが現在教室は残っていない。

渡り廊下。
柱は当時のものかもしれない。

渡り廊下の先には便所棟がある。
これも当時の建物が残ったもの。

古い水道の蛇口。

便所の内部。

ぶっかけ式の男子小用便所。
このタイプの便所があったら無条件で撮影することにしている。

個室大便所。

個室の内部。

昭和18年の増築時に使われていたというコンクリート製の瓶。
(2023年08月23日訪問)