以前に和紙のことを学ぼうと小川町を訪れたとき見学した道の駅おがわまち。その裏手は槻川の河原で、大手橋という抜水橋になっている。
その抜水橋の南詰めに小さな共同墓地があった。
六地蔵堂。
石垣の上に並ぶ石仏。
地蔵菩薩座像が浮き彫りになっている石塔は江戸時代の夫婦の墓。天保時代(江戸後期)の年号が掘られていた。
近代以前は○○家の墓といった墓石は造られず、個人や夫婦単位で墓石を立てていた。もちろんこんなに立派な墓石を立てられたのは裕福な者だったのだろうが。
三猿の庚申供養塔と如意輪観音。
庚申塔は延宝元年(江戸初期)の年号がある。
もしかしたら昔は小さな庵でもあったのかな、という雰囲気の敷地。
かつては杉の林だったようだが、近隣の日当たりが悪くなって伐採したのか。
鎮守社。
(2022年05月03日訪問)
