
江戸時代、入間川の南側を通って飯能市方向へ行く旧街道は、西武線入間川鉄橋の近くにある橋(現在の上橋近く)を渡っていた。

ここはその橋へ通じる街道筋。

その道路に面したところに、2階建ての土蔵がある。
「これはアレだ、もと製茶工場の倉庫!」などと、外観からきっぱり言い切れない。
これは何なのだろう?

平面は正方形で建坪も小さいから、2階へ上る階段の設置面積を考えると1階は大して収蔵力がないと思われる。そして2階には2面に開口がある。そんなに光が必要な蔵というのも変わっている。

国土地理院のサイトで昭和21年の航空写真を見てみると、この場所にはまだ土蔵がない。
すぐ南側に長屋門のあるお屋敷があり、敷地内にのこぎり屋根っぽいものがあるから機屋さんではないかと思う。その原料や商品を入れていた倉庫を曳き家したものか?
(2025年08月25日訪問)