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諏訪湖の水は天竜川になって太平洋側にそそいでいる。
その天竜川の源流ともいえる、釜口水門を見に来た。
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大きな水門で、橋の部分は自由に歩ける。
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水門の形態は転倒ゲート方式だが、上下2枚になった複雑なもの。
上側のゲートでオーバーフロー排水をするだけでなく、下側だけを開いて底面排水もできるという。
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水門の内側、すなわち諏訪湖の風景。
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水門の下流、天竜川がここから始まるのだ。
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右岸には魚道がある。
かなりの水量があるので、魚が安全に行き来できそう。
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ちゃちな魚道だと、サギなどの鳥が魚道の中に立ちはだかって、魚を食べまくることがあるけれど、ここはサギには足場が悪そう。
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この水門の見どころは、左岸にある
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2つの水門をひとつずつ開閉して、水位差のある水面に船を往来させるというもの。
でもちょっと狭いなあ。これだと漁船やプレジャーボートなどは通行できなそう。
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そもそも、天竜川側には平底の和舟くらいしか運行できないだろうからこれでいいのか。
伊那方面と諏訪湖の間には舟運はなかったのかな。
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少し下流に、旧閘門の跡が残されている。
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大きな水門が2基あり、現在は上が展望台に改装されている。
たぶんこの階段は後補のものだと思う。
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水門は昭和7年に着工、昭和11年(1936)に竣工したものだという。
構造はローラーゲート方式で当時としては最新の水門だった。
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現在、閘門の船だまり部分は安全のため埋められているので、どのように使われていたのかは想像できない姿になってしまっている。
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ちょっと残念な産業遺産だ。
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水門の上に登るとゲートを吊り上げるギアを近くで見ることができる。
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すっごく太いチェーン。
当時は内燃機関で駆動していたのではないか。
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水門の上から見おろす。
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古い水門は現在の水門よりも下流にあったようだ。
橋の一部分も残されている。
新しい水門ができたのは昭和63年(1988)なので、旧水門はわずか52年間しか使われなかった。
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水門の左岸に小さなガソリンエンジンの機関車が展示されている。
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旧釜口水門を建造したときに、資材を運搬するのに使われたものだという。
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ただし線路の長さはわずか3kmで、現在の川岸駅付近と水門を結んでいた。
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現在の事務所の裏側にもレールがある。これ何なのだろう。
(2013年04月29日訪問)