きょうは午前中から仕事で桐生へ。仕事は無事片づいて、外で昼食を食べることにした。
「ひさしぶりに美味いうどんが喰いたい。ちょっと遠回りになるが埼玉でも寄って帰るか」
向かったのは熊谷エリアに展開するチェーン店の「元祖田舎っぺうどん」の下奈良店。
埼玉県の郷土食「武蔵野うどん」系のチェーン店では、現時点では「竹國」と「田舎っぺうどん」が二大巨頭だと思っている。
竹國はショッピングモールのフードコートにも出店する丸亀製麺的な合理的チェーンだが、一方の田舎っぺうどんはチェーン店といいながら、どちらかというと暖簾分けに近く、調理場のワークフローが人手に依存する個人商店的なうどん店だ。
武蔵野うどんとしては竹國よりも田舎っぺうどんのほうがより土着的だと思うのだが、いかんせん、営業時間も土着的。昼のみの営業で、日曜祝祭日は休業という、なかなかに行きにくいお店なのだ。
仕事で東毛のほうへ行くことでもなければ中々食べる機会がない。
武蔵野うどんは冷たいうどんを熱い肉汁につけて食べるうどん。
田舎っぺうどんは、その中でも最もコシが強いタイプで、すごい食べごたえがある。
特筆すべきは、うどんのゆで汁が出ること。
蕎麦屋のそば湯みたいなものなのだが、この店は蕎麦のメニューはないから、純然たるうどんのゆで汁。
割り下なのだが、それがまた美味いのだ。これだけで飲める。
武蔵野うどんを経験したいなら、欠かせないお店だと思う。値段も安く、超お勧めだ。
さて、帰路である。
きょうはまだ夕方からひと仕事あるので、埼玉で遊んで帰ることはできないのだが、一ヶ所だけ立ち寄っていきたい場所があった。
昨年、都島農業集落排水処理施設を訪れたとき、神社に富士塚っぽいものが見えたのだが先を急ぐ旅だったため素通りした。きょうはそこを回収しておきたい。
それがここ、
御身体は縄文時代の石棒で、石棒の神様の総社ともいわれているそうだ。このあたりは中世には石神郷といった。
新田義貞が鎌倉攻めの際ここで戦勝祈願をしたため、以来この森は「勝の森」と呼ばれるようになり、神流川合戦に向かう北条氏直もここに詣でたという伝説がある。
村の鎮守だが歴史を感じさせる神社なのだ。
鳥居をくぐると右側に水盤舎。
左側には末社の磯崎神社がある。
内部は仏像のようなものが祀られているが、摩滅が激しくなんだかはわからない。
本殿は昭和時代に焼失し、1970年にRC造で再建されたもの。
拝殿前の狛犬。
拝殿の背後は相の間を経て、神明造の本殿へつながっている。
本殿の背後には末社の勝盛神社。
案内板によれば、この中に石棒が祀られているというようなことが書かれていたので覗いてみたがそれらしきものはありそうになかった。
たぶん石棒は本殿の中にあるのだろう。
本殿の背後にはほかにも小さな石祠の末社や忠魂碑がある。
忠魂碑の後ろには砲弾型モニュメント。
戦勝祈願の神社として、戦前には威勢のいい時代もあったのだろう。もともとは前側に置かれていたのが、戦後、見えないところに移されたのじゃないかな。
さて、きょうこの神社に参詣した目的はこちら、末社の富士浅間神社。
境内の右側に鳥居とともに半ば独立した神社のように配置されている。
その社殿の裏側に富士塚がある。
溶岩をふんだんに使った本格的かつ豪華な富士塚だ。
柵などもなく、自由に登山できるのがうれしい。首都圏の富士塚だと安全管理の関係からか登れないところが多いから、やはり田舎ののんびりした富士塚は気持ちよく参詣できるね。
さっそく、登山してみよう。
途中には胎内潜りがある。
高さは 4~5mほどですぐに頂上へ。
途中、急傾斜や足下が危ない箇所もない。
山頂の富士浅間神社、奥宮。
山頂からの眺め。
富士塚の山麓に、もうひとつ石段があり登れるようになっていた。
天大御神、神倭伊波禮毘古命、日子番能邇々藝命などと書かれた碑。天孫のいわれでもかいてあるのか。
富士塚の裏側は葺石のような川原石が積んであった。
もしかしたら、元は古墳だった?
境内にはほかに公民館の宮本町会館。
山車蔵。
山車蔵の横には公衆便所。
男性用は掛け流し式。
個室は2つあった。
(2022年08月01日訪問)
古建築の細部意匠
単行本 – 1972/6/10
近藤 豊 (著)
amazon.co.jp
いつも机の上に置いてあります。