
男衾地区、荒川の崖線付近の寺社巡りのつづき。あのときから2年たってしまっている。この地域に急いで追求しなければならないテーマがあるわけではないから時間があいてしまった。単に学生時代にこの辺りを訪ねた遠いおぼろげな記憶をたどってみたいだけなのである。
県道を走っていると、「塚田

このあたりには鎌倉時代から室町時代にかけて鎌倉街道という古道が通っていた。
荒川の渡しの南岸にあたり、塚田千軒町と呼ばれる宿駅として繁栄したという。塚田元三大師もその繁栄の歴史の中で建立されたのだろう。

だが江戸時代の五街道などと違い、北関東の古道は長い時間の中ですり減って、いまはかつての繁栄の面影はない。寺も往時の姿とは大きく変わってしまっているのだろう。
いま寺は町外れの田園の中の丘陵にある。

山門は立派な薬医門。

山門の左側にはお堂に入った六地蔵。
確たる統計をとって言うわけではないけれど、埼玉県北部には比較的新しい六地蔵がお堂を伴って建立されていることが多いような気がする。

山門の右側には板塀が続いていて、長屋門のようなものがある。

長屋門の近影。
ただしこれは以前は八脚門だった可能性もあると思う。

並びの一番右側には子安地蔵堂。

本堂は丘陵の一番高いところにある。
新しい建物だ。

本堂の前には聖観音。

本堂内部。
内部の材木も新しいので、本堂に関しては平成か昭和の新築なのだろう。
内陣の奥には本尊の薬師如来わわずかに見える。衣紋に平安時代の様式を持っていることから平安後期の作と考えられているそうで、町指定文化財に指定されている。

本堂の右側には玄関がある。
玄関だけは古い建物で、たぶん江戸後期くらいだろう。

角大師のお札が張られていた。
元三大師と呼ばれた僧の絵姿である。

玄関の右側は庫裏。

本堂の右側には用途のはっきりしないお堂がある。たぶんお札収め所ではないかと思うが扉がしまっていた。

その近くには達磨の収め所がある。

境内の西側にある無縁塚。

五輪塔は境内の工事で出土したものだという。

板碑は近くの農地の土地改良の際に出土したもので、鎌倉街道で病没した行旅人を供養したものだという。

墓地の入口にある閼伽井屋。

境内の外れにある藤棚。

この藤棚の横に小さな地蔵堂がある。
内部には石造の地蔵尊が祀られていて、もとは別の場所にあったものを移築したものだそうだ。

境内の様子。

寺の東側には鎌倉街道だったと考えられる道がある。

特に際立って古道のオーラが感じられる道ではないが、石垣や法面などは当時とあまり変わっていないかもしれない。
(2023年11月05日訪問)