門前の野辺堂

野辺堂の中に野道具が残されていた。

(群馬県みなかみ町後閑)

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玉泉寺の参道が続くあたりの集落の小字を「門前」という。

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石門の横に集落の墓所があった。

石宮のようなものはたぶんお墓。

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墓地には小さな小屋がある。

墓地に設置された堂を、当サイトでは野辺堂と呼んでいる。

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内部を見てみると野道具が残っていた。

灯籠、花籠、天蓋など、野辺の送りに使う飾り類だ。

玉泉寺の総門の横のお堂に収蔵されていた座棺輿も本来はここにあったのではないだろうか。

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墓地の古い無縁仏。

舟形の墓石が多い。

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道から見える農家の様子を観察してみる。

現在はこの集落では養蚕は行われていないが、基本的には以前はほぼ全ての家で養蚕をしていたはず。そこで、個々の農家に糸作りの小屋がないかというポイントで眺めてみる。総門の横のお堂に生糸を揚げ返す道具が置かれていたからだ。

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養蚕農家では基本的には売り物にならなかった繭を使って生糸を作り、最終的に家族の着物などにしてきた。あるいは、その糸作りを通年で行なう賃引きという内職仕事もあった。

糸作りの工程で繭を煮るとき、蛹のタンパク質の蒸気に独特の匂いがある。通年で糸作りをする家では、主屋の中ではその作業をせず、庭に四畳半くらいの小屋を造ったり、主屋の一部の通気のよい部屋を増設したりしてそこで糸を作る。

敷地にそうした小屋がないかを見るのである。

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軽く車窓からチェックした感じでは、糸小屋と断定できそうなものは見あたらなかった。(やや怪しいのはこの小屋など。⮕ストリートビュー

この農家は寄棟の茅葺き屋根の一部に明かり取りの小窓がついている。天井裏に2階があり、そこで養蚕をしたのだ。時代からいえば明治~昭和30年代くらいだったろう。その後、最終的にクリーム色の2階建ての蚕室を建て、さらに養蚕を大規模化した。

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こちらの農家は茅葺きの主屋を総2階として、左右に下屋を出した構造。下屋の部分まで屋根をひと続きに架構すれば兜造りと呼べるものになっていただろう。

この農家は最終的には庭のバラックで蚕を飼育し、主屋の2階は繭を作らせる部屋として利用したのではないかと思う。

(2021年08月23日訪問)

民俗小事典死と葬送

単行本 – 2005/12/1
新谷 尚紀 (編集), 関沢 まゆみ (編集)

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