玉泉寺

総門からのアプローチが長い山寺。

(群馬県みなかみ町下牧)

スマラン事件鎮魂之碑から少し西へ行ったところに、玉泉寺の総門の石柱が見えた。きょうは本来は水上温泉を散策する予定なのに、すでに時刻は17時近い。

さすがにもうあまり寄り道もできないのだけれど、総門が見えてしまったので、参拝していくことにした。

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石門からお寺までは500mはある。

群馬県北では迦葉山弥勒寺が総門から本坊まで相当の距離があるが、500mだってお寺の参道としてはかなり長いほうだ。かつて広い寺域を持っていた寺なのだろうか。

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石門の横には地域の不燃ゴミ集積小屋があった。ゴミ置き場になる前は、もしかしたらバス停の待合所だったかもしれない。

だが、この小屋は本来は何だったのだろう。

基礎がなく礎石の上に土台。構造は真壁(しんかべ)の土壁。構造や柱などの風化の感じは明治時代くらいまで行きそう。つまり100年以上たっているのではないか?

近くに高速道路が通ったときに立ち退いた家の一部か、あるいは茶堂的なものだったのか。謎だ。

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参道を進むと、第2の石門がある。

この石門から先もまだ250mほどの参道が続く。

アプローチが長い。寺好きにとっては名刹の期待が高まってしまう参道の作りだ。

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石門から100mほど進むと総門がある。

その左側に見える土蔵はおそらく輪蔵だろう。

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総門は棟門で、道から外れた位置に建っている。

もともとは第2の石門の場所にあったのを、道路を拡幅して車が通れるようにしたときにここに移築したのではないかと思われる。

両側の石垣もつながりがなく、ちょっと不自然。

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棟門とは、鳥居のように2本の柱で屋根を支えている構造の門をいう。

2本の柱だけでは前後の安定が悪いのでこのように控え柱を立てて支えるか、左右の袖塀と一体化することで安定化を図る。

この門は左右に石垣があるので、本来は石垣か築地塀に固定されていて、添え柱は後補なのではないかという気がする。

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総門の横には墓石と思われるものが並んでいる。

これもおそらく石門のあたりにあったのを移築したのではないか。

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では、輪蔵と思われる建物を確認しよう。

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中の様子。

あれ? 輪蔵じゃない?

外観からはほぼ輪蔵と思っていたけれど、コの字型の祭壇を持ち、奥に厨子のある仏堂だ。輪蔵の居抜きという感じでもなく、もともと仏堂だったぽい。

いまは倉庫になっているが、十王堂とか、そんな感じの複数の仏像を安置したお堂だったようだ。

中央に置かれているお宮のようなものは座棺輿。

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輿の左側には糸車や綛揚げ機が置かれている。

この綛揚げ機は赤城山麓で繭から自家製の糸を作っている家でよく見るタイプのもの。

糸車は糸に撚りを掛けるための道具だ。

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輿の右側に見えるのは高機。奥のほうにも糸車のようなものがあるが、暗くてよく見えない。

群馬というと養蚕が盛んだったので絹織物の道具かとまず考えてしまうが、繭から繰糸する道具が見あたらない。

なぜお寺に機道具がこんなにあるんだろう。

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さて、総門を過ぎると参道は森の中を進み、沢を渡る橋がある。

舗装道路になるまえはさぞ風情のある参道だったろう。

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境内に到着。

途中の参道が森の中を進むので、森の中の山寺かと思いきや、境内は近代的な擁壁で整備されて空が広い。

石段を登った先に本堂が見える。

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石段の途中には閻魔大王と奪衣婆がいる。

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閻魔大王、でいいんだよね?

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こちらは奪衣婆で間違いなさそう。

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近くには六地蔵がある。

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本堂は比較的新しく建て替えられたもののようだ。

もしかしたら平成かも。

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珍しいのは鰐口の代わりに雲版が下がっていること。初めて見たよ。

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本堂の右側には玄関と庫裏。

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本堂の前には、『インド仏跡図』という石碑がある。昭和46年に、釈迦の旧跡を巡ったことを記念した碑だ。昭和46年というと大阪万博の翌年。まだ日本人が気軽に海外に遊びに行く時代ではなかったから、大変な旅行だったろう。

かなり以前、この地方のお寺を巡ったときに、庫裏に上がらせてもらって、海外の写真を見ながら話を聞いたような記憶がわずかにあるのだけれど、それはこの玉泉寺だったのかな・・・。

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鐘堂。

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鐘堂内にあった般若心経を書いた不思議な額。

白く見えるのは溶けたガラスか何かをたらして硬化させたもの。

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仏足石があった。

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宝篋印塔。

茂左衛門地蔵奥の院で見たのと同じように笠に隅飾りがない。

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本堂の裏のほうへ行ってみよう。

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とりあえず、裏側には庭園はない。

また本堂の後ろに位牌堂や開山堂といった堂がないことも確認。

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本堂の裏山は墓地になっていて、整備されて、車でも近くまで登れそう。足腰が弱っていてもお墓の近くまで行けそうなのはいいと思う。

墓地の中に土蔵造りの建物がある。こちがら経蔵かな。

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墓地は最近整備されているので、新しい墓石が目立つが、舟形の墓石もちらほら見える。

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戻りは本堂のほうへ行かずに、墓地の道路を降りてみた。

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すると途中に茶店のようなものがあった。

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観光寺院でもないのに茶店を建てて、営業が成り立ったことがあったのだろうか?

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名前は弁天茶屋。

いまは庭仕事の道具置き場になっている。

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弁天茶屋の名前の通り、鎮守社の弁天宮がある。

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弁天宮の回りには堀がある。

その先は公園になっていたようだが、いまは雑草が繁茂して近寄ることはできない。

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公園には滑り台があるだけだ。

遠くてよく見えないけれど、日都産業製じゃないかな。

(2021年08月23日訪問)