子持中学校の南側に10ヘクタールほどの遊休地がある。ゴールデンウイークに訪れたらそこは一面の菜の花畑になっていた。
この遊休地は縄文時代のムラが出土した場所で、国指定史跡に指定され土地利用が制限されている。
もっとも住居跡などは埋め戻されているため、現地に行っても遺跡自体には観るべきものは何もない。
この場所にあったムラは、榛名山の噴火によって短期間で火山灰に埋没したことから特定の時代の生活の跡がそのまま発掘されたとう点で価値が高く、平成5年(1993)に国指定史跡に指定された。
遺跡から南側、榛名山を見た風景。
榛名山は50万年前に成立た複式火山で、現在の榛名湖などのやカルデラは5万年前ごろにできたと考えられている。縄文時代初期の1万年前、すでに群馬県に人が住んでいた岩宿遺跡などの時代に大きな噴火を起こし水沢山が現在の形になった。
その後しばらく沈静化していたが、古墳時代に入って150年間ほどの期間に二ツ岳の活動が活発化し、3回大きく噴火した。
特に2回目の噴火は火砕流が発生し榛名山の北麓は広い範囲が焼け野原となった。(2012年に発掘された吾妻川右岸の金井東裏遺跡はその噴火の時の遺跡だ。)
黒井峯のムラは2回目の災害の跡地に入植し、50年ほど続いたあと、3回目の噴火の降灰で生活は不可能となり人々はムラを捨てて立ち去った。
それ以後、榛名山は噴火することなく現在に至っている。ただし最後に噴火してからまだ1500年しか経っていないので活火山の分類になる。
遺跡から北側、子持山を見た風景。
子持山も火山で90万年前ごろから活動し、20~30万年前には活動を停止している。噴火していたのは日本列島に人間が住む以前の時代のことだ。その後の土石流だか山体崩壊だかの痕跡と思われるものが、周慶洞不動尊の崖で見られた。
遺跡から西側、小野子山を見た風景。
小野子山は榛名山と同様に50万年前ごろから活動し、20~30万年前に活動を停止している。火山性の地形として以前に柱状節理を紹介している。
過去1万年以上休止している火山は死火山という分類なので、子持山と小野子山は死火山だ。
(2009年04月30日訪問)
