金井東裏遺跡・甲を着た古墳人

火砕流に巻き込まれた王の遺体が見つかった。

(群馬県渋川市金井)

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吾妻地方を横断する高規格国道の建設のための調査で、古墳時代の集落跡が発見された。この集落は6世紀初頭榛名山の噴火の火砕流で壊滅し、そのまま埋没した。榛名山は複式火山で噴火したのは二ツ岳である。

古墳時代、5世紀~6世紀中ごろまでの150年間に二ツ岳では3回の火山活動があった。火砕流が発生したのは2回目の火山活動のときだった。

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この遺跡が一躍有名になったのは、火砕流に巻き込まれてその場で死亡した王の遺体が見つかったからだ。

王は男性で、この地方の有力な豪族だった。二ツ岳が噴火しムラに火山灰が降り積もったため、村人を避難させていたと考えられる。そのさなか、火砕流が押し寄せ、そのまま生き埋めとなってしまった。

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写真中央の四角い穴は遺体が発見された場所で、周囲の土ごと掘り取られて運び出された。

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その遺体の公開が行なわれたので行ってみた。

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生き埋めになった人物がなぜ王だったとわかるかというと、(よろい)を身に付けていたからだ。甲とは、武人埴輪などが着ている古墳時代の鉄製の武具。

甲は戦闘用というよりは権力の象徴であり、ヤマト王権に近い人物だった証だ。本来であれば前方後円墳などの巨大古墳に葬られるような人物だった。

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王が着ていた(よろい)は「小札甲(こざねこう)」という種類のもので、小さな鉄板をヒモで繋ぎ合わせたものだった。鉄製品はまだ貴重で特別なものだった。また近くでは彼の所持品と考えられる矛も見つかっている。

彼が村人を避難させつつ、自分は最上級の装束を身に着けていた理由は想像するしかないが、噴火する二ツ岳を鎮めるために山に向かって何らかの祭祀をしていたのではないかとも考えられる。

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もし、単に高価なものを持ち出そうとしていたのなら、着用する必要はないからだ。

こちらは鎧のお尻側。

王は溝の中で二ツ岳の方向に向かって伏せた体勢で死んでいた。頭の下には(かぶと)も埋もれていることがわかっている。おそらく火砕流が押し寄せる直前まで彼は矛をかざして噴火を止めようとし、その最後の瞬間に窪地に伏せたのではないだろうか。

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近くで見つかった矛。

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鉄の矢じり。

(2013年03月07日訪問)