おそらく、歌舞伎の上演がなくなり、歌舞伎舞台は老朽化したので撤去したのだろう。
だが、残された桟敷はこれまで見た他の2つの舞台の桟敷に比べると大規模なものだ。
当サイトには、競技場・露天桟敷という索引項目があるけれど、それを代表する遺構のひとつと言っていいかもしれない。
案内板によれば、江戸末期の絵図に書かれているとのことだが、それ以前からあった可能性が高いだろう。
桟敷を管理するのは近くの亀山八幡宮だが、各区画は集落の個人が権利を持っているというのがここの特徴のようだ。中山や肥土山の平場はブロック単位で集落に割り当てられていて、ブロックはローテーションし、ブロック内の升席は集落内での抽選ということだったから、だいぶ管理が違っている。
この亀山の歌舞伎舞台では、桟敷(=立体的な席)は村人の所有、平場はビジター用だったのだろう。
それにしても桟敷の迫力はものすごい。さすが石材の島といったところ。
所々に小屋のようなものがある。
もうすぐ開催される亀山八幡宮の秋祭りにそなえて屋根を設置しているのだ。農村歌舞伎はなくなっても、桟敷は観覧席としていまでも使われている。
祭りでは荘厳な太鼓台の神輿がここに並ぶ。住民にとっては一年で最もアツくなる行事だから、この桟敷の権利はおいそれとは手放さないだろうと思われる。
桟敷に登ってみた。
段数は高いところで9段ある。
細かい石段がたまらない。
小屋が設置されると、通路はほとんどなくかなり狭く感じるのではないか。
1区画の広さは2.7m╳2.7mくらいか。
桟敷席からお祭り会場を見おろすとこんな感じになる。
正面の基礎の石垣がある部分が元歌舞伎舞台だったのだろう。
また、江戸時代にはこの沖で競漕が行われてそれを桟敷から見学することもあったそうだ。
歌舞伎舞台がなくなったのは残念。
お祭り広場にはほかに末社のようなものが数軒あった。
(2006年10月09日訪問)