室生の共同墓地

スポーツ公園のとなりにある墓地。霊柩車が立派。

(香川県小豆島町室生)

これから小豆島の南側に延びる三都(みと)半島へ入って行く。

池田から小さな峠を越え、最初にある集落が室生だ。

集落の外れのスポーツ公園がある一角が共同墓地になっていたので立ち寄ることにした。

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その一角に無縁仏ピラミッドがあった。

けっこう丹念に写真を撮ったつもりだったが、実を言うと、西の滝の洞窟内でカメラのISO感度設定を最大にしたまま戻し忘れていて、西の滝以後ほとんどまともな写真が撮れていなかった。(そういうカメラだったのだ。)

なのでこの日撮った写真を少なくし、2008年に再訪したときの写真を中心に紹介しよう。

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引導場。

南側が吹き放ちになっている。

内部には蓮台と小さな石のテーブルがある。

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引導場の車庫にあった霊柩車。

漆塗りの立派な車だ。

集落でこんな高級車を持っているってすごい。数百万はするのじゃないか?

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使用料は1回5,000円とのこと。

いまでも使われているのだろう。

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2008年、再び三都半島を訪れた際、このスポーツ公園の売店で水分補給したついでにもう一度この墓地に行ってみることにした。

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野球スタジアムのすぐとなりが墓地になっている。

敷地は完全に海浜の砂地。

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無縁仏ピラミッドは島の他の墓地と比較しても最大レベル。

てっぺんは宝篋印塔になっている。

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額縁付きの墓石が多く、すそ野部分は子供の墓石が占めているのはこれまで見てきたものと同じだが、よく見ると中間部分にやけに幅が広い墓石があり、複数の戒名が彫られているように見える。個人の墓から家墓へ移行する途中で、過去碑と墓石が一体になったような墓が作られたのかもしれない。

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すそ野の外周部分には、ピラミッドの完成後に再び寄せ集められた墓石がやや不規則に並んでいる。

いつかもう一つピラミッドが建ちそう。

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墓地の一角に新仏があったので近くで見させていただく。

提灯なども真新しいし、埋葬してからまだ日がたっていないようだ。

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塔婆と一緒に立ててあるのは、銘旗、四幡、提灯╳2、花籠だった。

花籠などの下部は地面に突き刺してある。こうした竹の節が抜いてあり、土葬された死者の息ができるようにとされていることがあるらしいが、確認はしなかった。

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霊屋は墓石が並ぶ前の砂の上に建てられている。

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霊屋の下に位牌が置かれているが、位牌は砂の上に直接ではなく、石の上に置かれている。砂を掘ったような跡があるので、骨壷なりが埋められているのだろうか。

位牌が置かれた石の上には、白米と生の団子と思われるものが供えられている。その前には茶碗と湯のみとローソク。

位牌の両側には台形の柱に9枚の煎餅が貼り付いた飾りがある。(徳島で「お嫁さんのお菓子」と呼ばれているものと酷似したお菓子だ。)

位牌の前の中央には椿の枝、左右に一般的な金紙の盆花。

位牌の右後ろには地神塔のような六角柱の柱、左右には紙花が4本ずつ。この紙花は本数と葉の形状から四ヶ華の一種かもしれない。

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位牌の前の椿は、花の季節ではないので、紙で作られた造花のつぼみが追加されていた。

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位牌の後ろにクルクルっとした紐のようなものが見えるが、位牌を結束した紐の残りが垂れ下がっているだけでたぶん特別に意味はないと思われる。

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別の霊屋。

こちらは少し時間がたっているので、野道具はない。

位牌、六角柱、茶碗、湯のみだけが飾られていた。

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こちらの霊屋は、位牌ではなく、小さな石碑が建てられている。石の位牌か。

位牌の前には香炉、火立てがある。

湯のみの代わりにコーラや缶コーヒーが供えられているので若い人の墓なのかもしれない。

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霊屋はいくつも見ることができた。

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墓地全体で「○○家の墓」の割合は半分くらいで、夫婦の墓石もまだ多く見かける。

新しい花が手向けられているのは、小豆島の他の墓と同じ。頻繁に墓参しているためだと思う。

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入口付近に並んでいる軍人の墓。

家の墓とは別扱いなのだろうか。

琴塚の共同墓地でも軍人の墓は1ヶ所に集めてあった。

(2006年10月09日訪問)