もう一度、土産物屋が集中している広い境内から、寺の伽藍について紹介していく。
まずは大石段の手前にある高灯籠。
まるで灯台かとみまがう巨大な灯籠だ。ときたま、険しい山奥の寺にこうした灯台状のものがあるのだが、これってもしかして、光で遠い山に信号を送るものなんじゃなかろうか。
土産物屋、深田豊隆堂の横にある宝形の堂は、配置図によれば開山堂。
深田豊隆堂の正面にある弁天堂。この堂も意外に古そう。総門と同じ時期と思う。
水盤舎。
後ろに見えるのが土産物屋、西村堂だ。
伽藍配置図によれば閼伽井堂。
これが清水寺の名前の由来だという。
見たところ井戸であり、もしかしたらポンプ舎なのではないか。
西村堂の奥にある稲荷社。
雨が降っているので、奥まで登るのは勘弁してください。
宝物殿。宝物殿自体はRCの建物。
手前には向唐門の四脚門がある。
境内の左側のほうには塔頭群へのルートがある。
このルートを進むとまずあるのが寺務所。
寺務所を上から見るとこんな具合。
別にドローンなどを使ったわけではなく、本堂の石垣から見下ろすことができる。
奥に庭園がありそう。
そこからさらに奥に行くと、蓮乗院という塔頭がある。
蓮乗院を上から見るとこんな具合。
山門は薬医門だ。
配置図ではこの奥に古門堂という塔頭だあるようだが、見えなかった。
かつてはこんな僧房がたくさんあったのだろう。
では、大石段を登って本堂のほうへと進もう。
石段の欄干の下部には狛犬のようなものがいる。
よくこういう場所に逆立ちした狛犬母子がいたりするのだが、この狛犬は逆立ちはしていない。背中に子どもを背負っているようにも見えるが、風化が激しくはっきりしない。
石段を登ると、正面には護摩堂。
その右前には信徒休憩所。
休憩所の裏山には常行堂。
これも雨なので登るの勘弁してください。
護摩堂の左には、正面7間、奥行き7間、杮葺きの巨大な本堂がある。
戦国時代の焼き打ちでも焼け残った唯一の伽藍で、室町初期の建築。木割りも太く、いかにも室町らしい立派な建物で国重文。国重文にもピンからキリまであるが、これは国宝一歩手前というような感じだ。
内部は手前2間が大きな吹き放ちの外陣で、内陣との間には地蔵格子があって空間が隔てられている。
いわゆる密教様式の本堂である。
外陣の小屋には絵馬がたくさんかかっていた。
反対から見たところ。
「柳灌頂」という護符が売られていた。
ここに願いを書いて、願掛け柳に結ぶのだという。灌頂というくらいだから、文字がかすれるくらい雨に濡れれば願いがかなうというような願掛けなのだろう。
ここから奥へ進んでいくと、この寺の最大の見ものである三重塔が見えてくる。
塔は初期には仏陀の姿の代替としてのストゥーパを木造で表現したものだったのが、徐々に寺の飾りのような位置づけに変化し、江戸時代にはついに参拝客を登らせる展望タワーへと進化した。
そうした登れる三重塔は日本にはいくつかあるのだが、そのひとつがこの清水寺の三重塔なのである。
だが、残念なことに拝観時間をすぎていて登ることができなかった。ちょっと来るのが遅すぎた。
う~ん、この寺の最大の楽しみが無くなり、最後の最後にがっくりきた。そのうちリベンジしなければなるまい。
きょうの旅はこれでおしまい。一日雨が降り続けて、カメラを拭き続けながらの参詣でさんざんな一日だった。明日は晴れてほしいなぁ。
(後日、この三重塔を再訪することができた。)
(2005年05月01日訪問)
福岡県の仏像 (アクロス福岡文化誌 8)
単行本 – 2014/3/30
アクロス福岡文化誌編纂委員会 (編集)
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