夕暮れの風景ではない。
午前中の様子なのだ。朝から鉛色の雲に覆われ、断続的に雨が降っている。寺巡りを躊躇する天候だった。10時ごろに小振りになってきたため、渋々と一畑薬師へと向かうことにした。
一畑薬師は山陰随一の祈祷寺。この寺に参詣するために一畑電鉄という私鉄が通っている。一畑電鉄はかつて寺の山門付近まで引き込み線があったが、戦中に廃止され現在は一畑口駅が最寄り駅になっている。
まずかつての駅付近に行ってみた。
ここには旧参道の石段がある。全部で1,300段あるといい、かなりの登りだ。
雨も降っているので、登らない。
もしかしたら途中に宿坊とか楼門でもあるかもしれないが、未確認となる。
現在は、お寺の近くまで車で上れる道がある。
駐車場はわりと広く、周囲は空が広い空間になっている。というのも、ここは元々は「一畑パーク」という遊園地だったのだ。
駐車場から門前の仲見世が並ぶところまでの広場、そしてその西側の窪地が遊園地で、寺と一体となった娯楽の殿堂、昭和のエグイ観光地だったのである。
その跡地はいまはなにも使われていない。
かつては動物園もあり、ライオンやゾウもいたという。
当時の遺構はほとんど残っていないが、唯一、屋内スケートリンク(あるいはレストハウス?)の建物と思われるものがある。
広場を過ぎると門前町の土産物屋が並ぶ。
かつてはここも遊園地の敷地の一部だったのだろう。
いかにも土産物屋という感じの品揃え。
特に買いたいものもないが、こういう観光地っぽい土産物屋があるとテンションが上がる。
仲見世は建物が残っているだけで14軒前後、半分くらいが現在も営業していた。
ここまでハッキリと門前町を形成している寺社は、地方にはあまりなく貴重な存在だ。
それにしても観光客が多いなあ。しかも若い子の比率が高い。以前、宮城県の定義如来に行ったときにも感じたのだが、祈祷寺って若い子を引きつけるものがあるのかな。定義如来は流行り神に近い寺だったが、一畑薬師もわずかながら流行り神的な空気がある。
私が祈祷寺を流行り神認定してしまう最大の判定ポイントは、①寺伝による開基が極度に古い(奈良、平安など)の割に、②整地された境内が広く(大きな土木工事がされている)、③江戸初期より前の建物がほとんどない(ほとんどが明治以降の建築)であることだ。
つまり、開基なりの古さを感じさせない寺、ということになる。
伽藍配置図があった。
現在地という場所からは、石灯籠が並ぶルートを通って本坊へ。そのあと本堂へ進み、戻りは「一畑山コテージ」と書かれているあたりから石段を下るルートで参詣するつもりだ。
最初にあるのが水盤舎。
そこからは石灯籠が並ぶ森の中の平らな参道が続く。
石灯籠の列が切れると薬医門がある。
ここが本坊になる。
門の奥に見えるのが本坊の書院。庭園が見学できるようだったが、先を急ぐ。
本坊の横にある法堂とされる建物。
裳階付きの重層の堂で、どちらかといえば仏殿っぽい感じだ。
本坊から本堂へは少し石段が続く。
石段の途中には切妻屋根の八脚門の仁王門がある。
あまり古い建物ではなさそう。明治か、行っても江戸末期だろう。
仁王像が通路側を向いて対面する配置。
仁王のほかに十王像も祀られていた。
石段を登りきると参道は右に折れて、袴腰鐘楼と入母屋妻入りの観音堂がある。
境内には祈祷のタイムスケジュールを告げる放送が断続的に流れていて、たくさんの信者が本堂で祈祷をうけているが、観音堂のほうにはあまり人がいない。
観音堂の対面には
寺務所の前には十六羅漢堂。
一番奥まったところに本堂がある。
本堂の前にあった狛犬。
なんだか犬が暑い日に舌を出してハァハァしてるみたいな形状。
こちらは吽形。
本堂の廻りには八万四千仏堂という小さな青銅製の薬師如来が並んでいる。
その左側の宝形の堂は観音堂。石垣の上には鎮守社の稲荷社がある。
さて、この一畑薬師で私が最も楽しみにしていたのが「お
ただし本堂の付近を工事中で、本来の位置ではなく仮設的な建物に置かれているようだった。
番茶は寺のまわりの集落で栽培された茶葉と、寺の敷地にある井戸の水で作った特製のもの。一畑薬師はもともと目の病気に御利益があるとされていて、飲むだけでなく目を洗ってもいいという。
これがお茶のでる蛇口だ。
持ち帰り用のオリジナルとっくりも売られている。500円と安価なのでひとつお土産がわりに買ってかえった。
(2005年05月01日訪問)