瑠璃光寺。山口市を代表する観光スポットであり、同時に中国地方でも屈指の観光寺院であろう。特に、境内にある旧香積寺五重塔(瑠璃光寺五重塔)は、その建築美、景観において日本で1~2を争う美しい塔だ。
しかも、寺の伽藍構成は回廊を巡らしている。回廊といえば、私が地方寺院巡りで最も好んでいる伽藍構成であり、何にも替えがたい大好物といってもいいのである。
だが、なんだろう。門前に立つと「あれ?」。寺に参詣しているというより、公園か遊園地にいるというような気分になっている。変だな、大好物の回廊もあるのに、妙にクールダウンしてしまっている。
いやいやいや、ダメだ、集中しないと!
総門はなく、回廊に接続した四脚門が山門に相当する。通常、当サイトでは柱が4本の門は「薬医門」、6本の門を「四脚門」としているが、もう少し厳密にいえば、薬医門とは横からみて柱が対称ではなく、前側2本が主柱、後ろ側2本が控え柱のようになっているものを言う。
この寺の門のように、柱が4本で前後に均等に作られているものは「四脚門」とするのが適当だろうと思う。
山門の右側の回廊はちょっとした茶店みたいになっていて、おかげで回廊の中を通行することはできない。
山門の中は休憩所で、門というより
私が理想とする回廊は、本堂側から出発して山門を経て、巡回して戻ってこれる構成のものなのだが、この茶店があるためそれが阻まれているのが残念。
山門から回廊の左側を見る。
こちら側は障害物はなく、巡回できる。
山門の左側、つまり回廊の左手前角には資料館がある。
山門の右側、つまり回廊の右手前角には袴腰鐘楼がある。
回廊寺院では多くの場合、左手前角には袴腰鐘楼が配置される。
なぜかと言えば、回廊寺院では伽藍の右側は庫裏、左側は禅堂になることが多く、僧が普段居住している庫裏から近い場所に鐘楼を配置し、定時の鐘を撞きやすくするためではないかと思う。
だが、この寺では伽藍配置図を見ると、右側に薬師堂、左側に庫裏があるという変則的な配置なのだ。にもかかわらず右手前に鐘楼があるから、庫裏の対角に配置されることになり、庫裏から鐘楼が遠い。
回廊の内部は放生池を中心とした庭園になっている。
常々思うのだが、回廊のある寺院では中央の参道と、周囲の回廊の2つの通路があるため、参詣の動線が定まりにくい。もちろん、回廊は修行僧の移動のためにあるのだから、参拝者は中央の通路を進めばよいのだが、やっぱり回廊も通りたいではないか。でもそうすると一筆書きのように移動することができず、無駄にウロチョロすることになってしまう。
だとすれば私にとって理想の妙応寺型回廊寺院とは、中庭に立ち入れず、回廊だけを通って移動するような寺なのかもしれない。そんな寺が実在するのだろうか?
とりあえず、左の回廊を進んでみよう。こちら側の回廊は庫裏を経由して本堂まで行くことができる。
左側の回廊を上り切ったところ。
庫裏側から対角線にある鐘楼を見たところ。
奥に五重の塔の屋根が見えている。
次に、山門から直進するルートを進んでみる。
多くの観光客はこのルートを進むのだろう。
途中に後生車がある。
その反対側には身代わり地蔵。
参道の中央から、360度を見た様子。
本堂は入母屋妻入りの分厚い屋根をもつ建物だ。
もともとは茅葺きだったのではないか。
本堂の右側には薬師堂がある。
薬師堂の前には大数珠が下がっている。まわすと、カチカチと音がするタイプ。一時流行したみたいで、色々な寺で見かける。→ 動画
薬師如来。
薬師堂と本堂の間には、なぜか一畑薬師分院なるお堂があった。
一畑薬師堂の裏手には鎮守社の金比羅宮があった。
境内で見かけたおみくじ自販機。もとからの黒色タイプなのか、朱色を塗り直したものなのかは不明。
さて、瑠璃光寺の隣りには浄土式にしつらえた庭園があり、その奥に五重塔がある。
この塔は室町時代、大内氏によって作られたものだ。山口に花開いた大内文化の結晶ともいえる建築物である。
平面は上層にいくにしたがって細くなっており、屋根の軒の出も深く、軒のカーブも軽やか。五重塔としてはほぼ理想的な姿だ。有名な醍醐寺五重塔にも劣らぬ美しさであり、しかも日本庭園の中にあるその立地は醍醐寺にまさる。
全体の意匠は和様。和様を簡単に見分けるには、尾垂木の断面を確認すればよい。この断面が五角形なら唐様、四角形なら和様である。
このように素晴らしい建築なのだが、あえて難点を言えば、たたずまいが結婚式場っぽいところか。
瑠璃光寺は江戸初期に市内の別の場所から現在の位置に移転した寺で、五重塔はそれ以前にあった香積寺の建物だ。そのため瑠璃光寺の伽藍から離れて建っており、寺の一部という感じが弱い。周りが公園だからなおさらだ。
そのせいで、結婚式場の庭みたいな感じになってしまっている。
瑠璃光寺の伽藍の成立は、案内によれば江戸初期ということだが、もしその時の建築が残っていれば県重文くらいにはなっていそうだが、建物はまったく文化財指定されていない。建築年代の本当のところがわかりにくい案内板が山口市内には多かった気がする。
こうしてひと回りしてみて、やはりこの寺は公園のような印象を残した寺だった。もちろん公園としては極上の空間であるとは断言できる。
関西でも屈指の観光寺であり、国宝の塔もあるこの寺をあまり変に書きたくはないのだが、山門の中に茶店があったりして、どうしてもテンションが上がらなかったのだった。
(2003年09月06日訪問)
日本の伝統木造建築: その空間と構法
単行本 – 2016/8/8
光井 渉 (著)
amazon.co.jp