熊野本宮社

那智三山の本宮にあたる神社。音無川もある。

(宮城県名取市高舘熊野堂五反田)

和歌山県の熊野地方にいわゆる熊野三山と呼ばれる神社がある。熊野大社(=本宮 )、熊野速玉(はやたま)大社(=新宮)、那智大社の三社だ。本家の熊野三社は熊野灘をのぞむ紀伊半島の東岸にある。その写し霊場ともいえる神社が宮城県の名取市にあるのだ。

それらは名取市の西部の山麓にあり、三山の位置関係は本家の熊野三山を縮小したようになっている(下図)。若干、熊野本宮が近いところにある点が気にかかるが、那智大社と新宮の立地は確かに本家の熊野三社を彷彿とさせる。というのも、名取川は熊野川に、三社の東側にひらけた平坦な水田地帯は熊野灘に見立てることができるからだ。写し霊場にはよく西国三十三観音や四国八十八ヶ所を写したものがあるが、地形自体を模した写し霊場というのは珍しい。

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名取市のこの霊場は熊野詣でが盛んだった平安時代に作られたといわれ、「名取老女」という伝説をもっている。熊野信仰の熱心な信者だった女が、年老いたために本山への参詣がかなわなくなっていた。同じころ熊野にある山伏が住んでいた。山伏が松島へ詣でようと準備をしていたところ、夢まくらに熊野権現が現われて、東北に住む老女に伝えるようにと和歌を詠んだ。「道遠し 程もはるかに隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ」という歌だったという。山伏が下向の途中いまの名取のあたりにさしかかると、確かに熊野権現のお告げのとおりの老女が住んでいた。老女は山伏から和歌を聞くと、いたく感激しこのミニ霊場を勧請したのだという。非常に洗練された感じのする物語で、土着的な信仰ではなく熊野信仰の御師たちが布教のために流布したものなのであろう。

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その名取三社の最も北にあるのが熊野本宮社だ。

周囲は造成や土砂採取などで少しほこりっぽい印象の山で、ゴルフの打ちっぱなしやラブホテルなどがあるような、どちらかと言えば殺伐とした場所にある。

それでも街道に看板が出ているので神社はすぐにわかった。秋保から仙台までは断続的に渋滞していたため、移動に1時間、すでに日が陰り始めていた。

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参道には車で通行できる神橋がある。

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境内は拝殿(写真中央)、本殿、水盤舎、社務所。(本殿は良くみえなかった。暗かったというのもあるが…。)

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神楽殿(写真中央)、末社(写真奥)。

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社務所は無住のようだった。

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境内を流れる用水に音無川という名前が付けられていた。音無川とは和歌山県の熊野川の上流部分の呼び名である。

芸が細かいのはいいのだが、ちょっとしょぼい気がしないでもない。U字コンクリート溝になっているためによけいにそう感じるのかもしれないが‥‥。

(2001年09月24日訪問)

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