柴田町に入ると、すぐに山の上に白亜の観音像が見えてくる。船岡平和観音だ。
私は幼少時代を群馬県の前橋市で過ごしたが、小学校の教室の窓からは隣の高崎市の大観音がよく見えた。そこには大観音のほかに遊園地などもあり、子供ながらに特別に意識が向いていく山なのだ。「観音山」という名前は、上州の子供達が最初に覚える山の名前のひとつなのである。
この船岡の子供達も朝な夕なにこの山を見上げて育つのだろう。
さて、この山は船岡城の跡で、途中までは車で登ることが出来る。
途中からは山のゴルフ場にあるような小型のモノレールで登ることになっている。
が、行ってみたらモノレールは運行していなかった。お盆休み中の土曜日だというのにいったいどういうことなのだ?
そういえば姉妹サイトの珍寺大道場の小嶋氏もモノレールに乗れなかったというようなレポートを書いていたので、あまり気にせず登ってみた。
かなりの急坂で汗が噴き出してくる。それでも大観音見たさに頑張って登った。
写真は大観音のある辺りから、モノレールのキップ売り場の売店を見下ろしたところ。緑の中に見える青い屋根がキップ売り場。これだけの高さを登らなければならないのだ。
汗だくになって大観音にたどり着いてみると、肝心の胎内巡りがクローズしているではないか。
つまり、大観音とモノレールはセットで営業していたのだ。なんたることだ。
またいつか、胎内に入りに来なくては‥‥。
仕方ないので観音のまわりをひとまわりして外側から写真を撮る。
大観音の高さは20m、台座も含めると24m。
作られたのは昭和50年。船岡出身の野口徳三郎という人が、父母や妻の供養のために私費で建立したのだという。工期は1年、工費は7500万円だったとのこと。
天衣が後ろになびいていて、この部分が観音の体の補強になっている構造は、釜石大観音とよく似た発想だ。
白毫の部分はガラスのようなもので出来ている。
手には平和の象徴であるハトを抱いている。
ハトの上(あごの下)に黒っぽい楕円形がみえるが、そこは窓になっている。胎内に入ればあそこまで登ることができるのだろう。
山上にあった絹引きの井戸。船岡城二の丸の井戸でもあったという。1190年ごろ、この井戸から絹が出たという。欲深な者がいてどこまでも引きだしたところ600~900m引きだしたところで緑色のヘビが現われ、それ以上絹は出なかったという。
よくわからない伝説だ。そもそも絹ってなんだ? 絹織物のことか、紡績された絹糸のことか、それとも、蚕の糸のことか? 現代の蚕なら1匹の繭の糸の長さは1kmを越える。当時の蚕でも500m以上は取れたと思うが。
山上には選挙ポスターの掲示板を再利用して作った迷路があった。
近くにあった遊具(?)。
展望台にしては見渡しのきかないところにあるし、滑り台などになっているでもないし、よくわからない。
こういう規格品でないオリジナルの遊具には少し魅かれるものがある。見かけたら写真を撮っておくことにしよう。
後日、モノレールが動いている日に再訪した。
(2001年08月11日訪問)
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