
ここまで荒川の右岸(西側)の紹介が続いてきたが、ここから少し左岸(東側)を見ていく。
ここは鴻巣市

荒川上流から見るといまいる場所は"⇩"のあたり。
この付近では荒川左岸に「元荒川」という川が並走している。江戸初期に行われた瀬替え工事以前の荒川の流路だ。つまり荊原地区あたりで荒川は右方向に開削された流路に変更され、和田吉野川や入間川へと接続されたのだ。
とは言え、この付近の荒川には瀬替え以前の様子がわかるような痕跡はたぶん見つけられない。近代以降ずっと治水工事が続いてきたし、先史時代には現在の荒川の方向に流れたこともあったから、あたかも現在の荒川が元々こうであったような風景を作り出している。

その荊原の一角に赤い屋根の大きなお堂が目に付いたので行ってみた。
名前は大日堂。
草刈りが遅れ気味でやや荒れた感じだった。

境内入口には如意輪観音がいる。

境内に入って右側には供養塔という文字碑と地蔵菩薩立像。
氾濫原で見られる高地蔵だと思う。
もしかしたら川の氾濫で亡くなった人を供養したものかもしれない。

境内の右奥には墓地がある。

ただ、墓地は数軒のお墓があるだけで、お寺の墓地という規模ではない。

墓地入口にある馬頭観音。

お堂は方3間。特に水害に備えたような造りは見当たらない。

内部も荒れている。
外陣と内陣の間に壁がある密教っぽい造り。

お堂の後ろは堤防がすぐ側まで迫っている。
元々は寺の裏側にも平地があったのだろうが、堤防の拡充で建物ぎりぎりまで法面になってしまったのだろう。
(2025年06月19日訪問)