嵐山渓谷の上流、槻川の先行谷区間に少し開けた谷底平野がある。
その平野部分の河辺に「天皇皇后両陛下行幸啓之碑」があった。
え? こんな何もないところに何をしにいらしたの? とまずビックリしたのだが、平成26年に「農林水産祭むらづくり部門」でこの地域が天皇杯を受賞したため行幸を拝したのだという。
まあ確かに周囲は先行谷ということもあり360度が里山の風景で、とても静かな場所。すごく落ち着く。
しかも天皇陛下の行幸があったからか、バーべーキュー場もなく有料駐車場もない。ただひたすらのどかな風景が広がり、気軽に車を止め、気軽に川あそびもできそう。
ある意味かなり貴重な場所だ。
行幸碑の近くの河辺に鳥居がある。
この対岸にある神社の鳥居だ。
鳥居の右には3つの石塔があるが、文字などは彫られていないようだった。神社へ行くためにかつてあった橋の橋供養だろうか?
対岸には神社と下里の滝という滝があり、かつては景勝地だったというようなことが書かれている。
鳥居はたぶん古いものではなく、行幸時に整備されたものではないかと思われる。
鳥居をくぐると石段があり、参道が飛石になっている。
この部分は行幸と同時期に進められていた県の川の再生プロジェクトの予算によるものだろう。
神社へ行くのにはこの飛石を渡るしかない。
全国には同じよう参道が飛石の神社がいくつかあるけれど、歴史的に見て飛石参道っていつごろからあったのだろう?
ここは県の改修前は飛石ではなく流れ橋だったのではないかという気がする・・・。というのも、荒川水系で歴史的な飛石ってこれまでまったく見たことがないからだ。
川を渡ったところは物見山という山の北斜面になっていて舞台がある。
渓口に小さな滝があるのだが、水はチョロチョロしか流れておらず、樋を伝っていた。
本格的に流れたら樋が流されるので、通年こんな感じなのだろう。
以前はもっと流れていたのが、物見山をスギ植林したせいで枯れたのかもしれない。私はスギ植林=山水が無くなる、と短絡的には考えてはいないが、これまで山村で山水が利用できなくなったという話題の中でスギ拡大造林以後枯れたという話を幾度となく聞いてきた。
滝の右側には石塔が3つある。奥の小さいのは天満宮、右のボーリングのピンみたいな形のは辨財天、一番下の碑は芭蕉の句碑。
「蛇喰うと 聞けばおそろし 雉子の聲」
芭蕉の弟子の
舞台に入ってみたけれど、北向きなのでうす暗く、周囲の樹も伸び放題なので展望もない。
ハイキングの際に休憩するといった用途にも向いていなさそう。
舞台の背後に石段があり神社はその先。
常夜灯の定礎には大正8年とある。
石段はそれより古そう。
神社の名前は、読めない。
「大日孁女」(=天照大神)か?
寺社の石碑ってとにかく異体字使えばいいっていいう風潮いつごろ流行ったのだろう。迷惑でしかないのだけど。
石段は傾斜がかなり急。踏面=蹴上げみたいな段が細かく刻まれているので、とても歩きにくい。
マメヅタが繁茂している。
手すりがないので下りは恐ろしい。
石段を登り切ったところに覆屋がある。
中には流造りの社殿があった。
神社からさらに先には、物見山に登れるような道は見当たらなかった。
滝の落ち口へは行ける。
(2026年04月12日訪問)
