森戸の桑市場跡

むかし養蚕農家に桑を販売する市場があった。

(埼玉県坂戸市森戸)

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坂戸市大家地区。いまは大学が出来たり住宅団地ができたりしているが、そこはかつて大家村(おおやむら)と呼ばれた農村だった。

かつての村の中心部は森戸郵便局から西大家駅までの街道筋。街道筋の両端には桝形みたいな不自然な道路の屈強もあるから、江戸時代にはちょっとした町場だったのかもしれない。

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その街道筋の一角に馬頭観音がある。その北側にかつて「桑市場」と呼ばれるものがあったことを知る人はもう少ない。

戦後、生糸輸入が解禁され、養蚕業はそれまでにない効率化、大規模化が求められるようになった。そのひとつの解が買い桑による養蚕である。

桑の売買は養蚕農家同士で直接、あるいは、仲買人を通して常に行なわれてきたが、常設の市場として売買した場所はほとんどなかったのではないかと思う。

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私は群馬県富岡市の養蚕農家で話を聞いたときに、この市場のことを知った。その農家は一時期、養蚕農家番付に載るくらいの大規模化を目指したことがあった。若く活力もあった時代に自分がどこまで出来るのか試したかったのだ。当然、カイコに食べさせる桑が足らなくなる。他の農家から買い付けるにも周囲の農家も養蚕を拡大していた時代だったから桑が余っていなかった。

そこで富岡から坂戸の桑市場までトラックで桑を買い付けに行っていたというのだ。

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おそらく昭和60年前後だったと思われる。話を聞いた農家が関越自動車道を使ったと言っていたからだ。それでも富岡市から坂戸市は遠い。

ここまで買いに来たということは、桑市場というものがここにしかなかった(残っていなかった)からだと思われる。桑市場は機会があればいずれもう少し掘り下げてみたいジャンルだ。

いまはもう養蚕にそんな活気があった面影は感じられない県道日高川島線である。

(2025年08月31日訪問)