
荒川の左岸を見ていくと上尾市のあたりで川に向かって直角に街道が突き当たっている場所がある。
これはかつて荒川で舟運が行われていたころの荷揚げ場、つまり河港の跡である。街道の両側には舟運に携わった商家が並んで町を形成した。また川越方面への渡船の乗り場でもあった。

なぜこの場所に河岸ができたかというと、ここより下流は両岸は荒川と入間川の合流点の氾濫原で、いつ水害が起きるかわからないような場所だった。
安全な場所に家や倉庫を建てると、川岸からかなり離れた場所になってしまい不便だ。
ところがこの平方は大宮台地の西の崖線を川が直接洗っている場所で、どんな大水が出ても台地上まで水が上がることはなく、被害といっても船着き場が流される程度ですぐに復旧できただろう。


その場所に実際に行ってみた。
街道筋には寺社が並んでいて、ある程度は古い道なのだとはわかるが、家並みはほ新しくなっていて、あまり河岸の風情が感じられない。

案内板にあった昭和初期の航空写真では、この街道の先は開平橋で川越方面へ通じる街道だったことがわかる。街道にありがちな平入りの建物が並んでいるのが見える。
だた、このときすでに荒川の舟運は鉄道輸送に取って代わられていて、すでに河岸の機能はなかった。

開平橋も現在は100mほど下流のバイパスに付け替わっていて、河岸は行き止りの道になった。

現在、街道筋に平入りの商家っぽい建物は3~4軒残っている。

これは町おこしの補助事業みたいな感じの箱モノのような店舗。

街道筋を西のほうへ行くと、ゆるい下り坂になり荒川へ向かって降りていく。
かつてはここを荷車が行き来したのだろう。

船着き場があった場所は、防災のためか完全に改修されている。

やっぱり舟を係留した施設や地形が残っていないと、河岸の面影は感じられない。
これまでいくつもの河港を見てきたのでそれなりに想像力は持っているつもりだが、ここは河港の雰囲気を読み取るのがむずかしい場所だった。
(2022年11月06日訪問)