2002年、私は横浜から徳島へ転居したのだが、その前に新居捜しのために車で徳島へでかけた。不動産屋へ直行するのではなく、まず徳島県のどこに住みたいのかおおまかな地域を決めるため自分の車で走り回って土地勘をみがいたのだ。
さて新居も決まり、徳島からの帰路である。徳島からはフェリーで和歌山へ渡り、奈良、三重と一般道を走る。急ぎでもないから、最短距離でない気まぐれなルートでダラダラと横浜方面へ向かっていた。
ふと道沿いに大きなお寺があった。
「新大仏寺? 大仏でもあるのか?」
今回は観光のつもりではないから、どこにも立ち寄らずにここまで来たけれど、1ヶ所くらい観光してもいいだろう。

平日でもあるし雨が降っていて観光客はまったくいなかった。
山門は八脚門だが、仁王がいない。

この寺は、鎌倉時代に東大寺大仏殿を再建した僧、重源が開山したと伝える寺で、この場所は東大寺の荘園だったことからゆかりがあるというようなことだった。
ただ、明確に東大寺の別院だとか末寺だとか、そういう言い方ではなく「東大寺伊賀別所」という聞きなれない寺格となっている。そもそも東大寺と宗派も違うし、なんとなく歯切れが悪い。

伽藍配置図。
建物が大きく近接して描かれているが、実際は堂塔のあいだはもう少し離れている。

山門の横にあった明王殿。

山門を過ぎて本堂のほうへ向かう参道。

本堂の旧大仏殿。

重源ゆかりの大仏殿というので、天竺様バリバリのお堂かと思ったがそうでもない。
印象としては大正~戦前くらいの時代感。

虹梁を柱の途中にぶっ刺して、斗栱も柱に刺してあるのがやや天竺様っぽいけれど・・・。

内陣が奥に長く、左右に廊下を置くような間取り。
変わっているといえば、変わっている。
もともと大仏がここに置かれていたという。

本堂の右側には大師堂。

本堂の左側には上人堂。
重源を祀る開山堂ということか。

上人堂の近影。
中は見られなかった。

上人堂のさらに左には、現行の大仏殿。
内部は撮影禁止だが、丈六仏で大仏といっていいものだった。
撮影禁止はお寺の自由だけど、結局記憶とともに印象が薄れていくのだよね・・・ちなみに奈良東大寺大仏殿の中は撮影可だよ。

本堂の裏手に護摩堂があり、そこに不動明王が祀られている。

護摩堂内部にあった顏だけの不動明王。

護摩堂と不動明王はガラス戸で仕切られている。

身長は6mということなので、こちらも大仏カテゴリでよいだろう。

中々険しいお顔をしている。

境内にはほかに鐘楼、本坊があった。
(2002年05月17日訪問)