
村内で聞き込みをしてやっと見つけた阿波葉農家、藤坂家。
2008~2009年に数回お邪魔させてもらった。

細い農道を入った行き止りにあるので、知らなければたどり着けない。私の好きな、山側からしか入れず、敷地の谷側が森で人を寄せ付けない地形にある。

屋敷の下側の土地がタバコ畑になっている。谷の反対側の山にはソラの集落が見える、これぞ阿波葉の産地いう風景。
この谷は野村谷といって、県道7号線を通って谷を分け入ると相栗峠を経て塩江方面に抜けられる。かつては重要な街道だった。

タバコ畑の面積は聞き漏らしたが25アール弱くらいはありそう。苗を1万本植えているというので、大きく間違ってはいないだろう。
ご主人夫妻とお母さんの3人でタバコを作っている。

2009年7月12日。
ワキ芽を掻く作業を見せてもらった。
ワキ芽といっても1週間くらいタイミングが遅れると伸びて花芽が付いてしまう。芽掻きは何度かしなければならないのだが、親戚に不幸があったりで畑の一部の芽掻きが残ってしまった。

掻いた芽は畑の
畝間を見ると広葉樹の落ち葉が敷いてある。これは自分の山から集めてきて入れている。「しば」と言っていた。畑の土の状態をよくするためと、雑草防止のためだ。肥としてはカヤを入れるほうがいいが、足が引っかかったりして仕事がしにくくなるという。

タバコには「オンキ」と「メンキ」という違いがある。
オンキとは他の株よりも生長が早く、ワキ芽が多く出る特殊な個体。これがオンキだ。葉の枚数は通常より少なく、葉が厚い。色も少し黒っぽく見える。
それに対して通常の性質の株はメンキという。

これは病気が発生した株。
疫病(?)といい、株全体に広がって葉が黄色くなってしまう。

これはボタモチという症状。やはり病気。

ただ病気はあまり目立たず、畑全体は生長もよい。
「今年最後じゃけんな、体力的に精一杯のことをしてやらな」という言葉が印象的だった。

干し場はパイプハウスを利用。

上下2段の連干しで、すでにびっしり干してある。

上段が黄変が進んだ葉。下段はまだ収穫して1~2日ではないか。

ほかに軽量鉄骨の立派な収蔵庫がある。
ここは乾燥が終った葉を入れていく倉庫だ。

2009年7月17日。
倉庫の中の葉がだいぶ増えている。

藤坂家で特筆すべきことはこの2階建て倉庫の中での乾燥方法である。
下から葉を取ってゆき、ある時期が来たら幹ごと切断し、幹を吊って乾燥する方法をとっている。これを「
徳島に残った阿波葉農家で、幹干しをしているのは藤坂家だけだ。

これは『薩摩煙草録(1880)』にある幹干しの絵図。鹿児島は日本に煙草が伝来した地といわれていて、幹干しは煙草の最も古い乾燥法と考えられている。
その方法は下から葉を取ってゆき、植え付け100日後くいから、熟した株を幹ごと刈り取るというものだ。畝全体で一斉に刈るのではなく、成熟した株から順次間引いていく。
幹干しのほうがタバコの質が良くなるとされているが、重くなるし、乾燥したあと結局、幹から葉を外すので手間ではある。

これが藤坂家の幹干し。
初めて見た!
そして、もう二度と見ることはできない風景だ。

2階は幹干しの葉でいっぱい。
藤坂家の幹干しは、上から5~6枚を残したところで葉が青いまま一斉に幹刈りするという方法をとっている。
生長の差もあるから、一斉に刈り取れば若干収量が減るといわれているが、効率を考えてのことだろう。

全体で1万本の幹があるという。
連干しでは吊ってから寄せたり拡げたりの管理をするが、幹干しは同じ場所に吊ったまま。下から温風を当てれば自然に発酵する。葉が幹に繋がっているので幹の水分もあって適度に乾燥していくのだろう。

幹干しは縄ではなく、リボンのような資材に掛けている。これもタバコ専用なのかな。
幹にクギを打ち込んで引っ掛けている。クギは金槌で打ち込むそうだ。

幹の上部がすべて刈り取られたタバコ畑。

阿波葉最後の年に幹干しという貴重な仕事を見せてもらった。
(2008年07月06日訪問)