脇町東俣名のタバコ農家

タバコと養蚕の複合経営をした日本最後の農家ではないか。

(徳島県美馬市脇町東俣名)

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昨年、阿波葉の生産があと2年と教えられ、今年から阿波葉農家を集中して訪問することにした。

といっても、おおまかな地域と人数しかわからなかったから、地図で当りをつけたあとは目視と聞き込みで見つけ出していくしかない。

最初に探したのが脇町の北部、曽江谷川水系の地域だ。

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谷を分け入っていくと、タバコ畑が目立つ場所にありタバコ農家はすぐにわかった。タバコ畑の面積は30アールくらいはありそう。青々と健康的に育った阿波葉だ。

奥に見える学校は江原東小学校。近くに沈下橋があり、『阿波国すきま漫遊記 第4話』で紹介している場所である。

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タバコ畑の横にハウスがあり、ご主人が竹を割ってハウスの屋根の修理をしているところだったので話を伺うことができた。こちらのお宅は香川さんという。

このハウス、ぱっと見にはよくあるパイプハウスみたいだが、実は間伐材や竹を利用して自作したもの。器用だなあ。山間地の農家ってこうでなくてはいけないのか。

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タバコの収穫は始まったばかりだった。

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たぶん下葉だろう。

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きょうは天候もよく、畑のタバコも特に輝いて見えた。

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ありふれた風景のようだけれど、こんなふうに阿波葉が植えられた農道ももうすぐ見られなくなる。

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2009年8月8日に再訪。

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時期が去年よりだいぶ遅いので収穫は進んでいる。

でも去年にくらべて若干葉色がよくないような・・・

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背の低い株もある。

2009年はカラ梅雨で、春から夏にかけてタバコが育つ季節に雨が降らなかった。阿讃山脈エリアは瀬戸内気候に近いから特に降水量が少なかったのではないかと思う。そのせいだろうか。

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今回はハウスの干し場だけでなく、主屋側の施設も見せていただいた。

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主屋の並びにあるもと蒸屋。

現在はタバコには使っておらず倉庫になっている。

だが中央の炉は残っているし、壁には吊り木があるのでここがタバコ蒸屋であることはわかる。吊り木の段数は5段。

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天井は屋根が葺き替えられているから煙出しがあったかどうかはわからない。

ただし棟木があることから、ベーハ小屋のように全体に気抜きが載った構造でないことは確かだ。

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干し場で見かけた吊り木の注意書き。

もと蒸屋で使われていた吊り木の再利用なのか、あるいは、主屋前の干し場も「むしや」と呼んでいたのかは不明。

「蒸屋」という言葉を知ったのは穴吹町口山だったが、阿讃山脈の地域でも同じ言葉が使われていることは確認できた。

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主屋前の干し場。

いまになってよくよく見ると、これ、手前の1列だけは乾燥が進んだ葉が吊ってあって、風よけにしているのではないかと気付く。

このときはまだそういうことは見えなかった。

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1間に23~24本くらい吊ってあるのは、葉を寄せて乾燥しすぎないようにしながら黄変させている工程だからだ。

下屋の柱は節くれ立っているので栗の木かな。

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すでに黄変が終わった葉は日当たりのよい場所に出してさらに乾燥を進めて褐変させていく。

それにしても軒から出した雨除けの垂木の仕上がりが美しい。

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こちらは黄変がだいぶ進んでいる葉。

まだ緑色のところが残っているので、これが完全に無くなるまで発酵させなければならない。

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タバコ畑の横にある乾燥室。

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中は吊られた葉でいっぱいになっている。

上の葉はすべて黄変が終わり、色を上げるための最終工程にあるようだ。

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乾燥室の前にも屋根が出してあって、こちらにはまだ収穫して間もない葉が吊られている。

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乾燥室の床には縄に通した葉が置かれている。

これは今日収穫した葉なのだろう。

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ところでこの再訪で初めて知ったことがある。

これは前回2008年6月30日の乾燥室の様子。

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そしてこれが2009年8月8日の様子。

桑に気付いたであろうか。実は香川家は養蚕もやっているのだ。乾燥室と主屋のあいだのわずかな斜面に桑が植えてある。それが6月末のときには丸坊主になっていて、8月までに伸びている。

つまり春蚕(はるご)の飼育で夏切りしたあとの養蚕農家の桑畑なのである。

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一般に、養蚕とタバコは相性が悪いと言われる。タバコから揮発する成分で蚕の稚蚕が死ぬという話もあるくらいだ。だが、うまく時期をずらせば複合経営できるという。同じ話は群馬で聞いたことがある。

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タバコと養蚕を組み合わせる場合は、春蚕→タバコ→晩秋蚕という作付けになる。

蚕がタバコの成分に弱いといっても、現代では稚蚕飼育は農家ではない場所で行なうから、そこまでデリケートではないのかもしれない。

私が乾燥室だと思っている白い波板の建物は、このあと蚕室として使うのかもしれない。

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桑の葉も青々と繁り、年内にもう一度蚕を飼育するのに十分に育っている。

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桑畑は主に主屋の上側の斜面にある。風向きを考えて、タバコの風上に植えているのだろうか。

養蚕が美馬市方面に広まったのは年代的にはタバコより後になるので、元々タバコ農家だった家が蚕にも手を拡げたのだろう。

タバコ、養蚕、酪農は仕事が大変な作目といわれるが、買上げ価格が決っているため計画的に安定した収入を得られるというメリットもある。勤勉で堅実な農家に向いているという言い方もできる。

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桑園とタバコが隣接した圃場。

かつて蚕とタバコの複合経営をしていた農家はそれなりにあったと思うが、現在はいずれも珍しくなっている作目だ。

おそらく香川家は日本で最後のタバコ・養蚕複合経営の農家だろうと思う。

(2008年06月30日訪問)